亡くなった友人たちを思い碑前で黙とうする元学徒(7月29日、舞鶴市)

 元学徒「青春奪われた無念」

 終戦直前に旧舞鶴海軍工廠(こうしょう)が米軍の空襲を受け多くが亡くなった舞鶴空襲から75年を迎えた7月29日、「舞鶴空襲学徒犠牲者慰霊祭」が旧工廠跡を見下ろす共楽公園の碑前で行われました。当時、工廠で魚雷の製造にかかわっていた住民らが参加し、「戦争だけは絶対に繰り返さず、平和を守り通してください」と訴えました。

 舞鶴空襲は29、30日の2日間にわたり、180人が犠牲になりました。29日の空襲では原爆の模擬弾が投下され学徒動員された学生ら97人が亡くなっています。

 同慰霊祭は、14年に学徒動員されていた学生らが呼びかけ、市民の寄付によって7月に碑が建立されて以降、毎年開催されてきました。

 この日の慰霊祭では、工廠に動員されていた元学徒の瀬野研三さん(91)があいさつ。今年はコロナ禍のもと中止も検討しましたが、空襲の経験者が少なくなる中、「学び、青春を謳歌(おうか)し、豊かに成長する望みをわずか16、17歳で断ち切られた学友の無念」を伝えようと規模を縮小しての開催となったことを報告しました。

 同じく動員された内藤昇さん(92)は、工廠の窓ガラスが上から降ってくるなか魚雷の下に隠れたことや、ハエがたかる遺体の中から学友の確認を行ったことを振り返り、「碑の中には確実に16、17歳で冷えていった友がいることを感じる。みじめでむごたらしい戦争だけは起こさず、繰り返してはいけない」と力を込めました。

 碑前には物資に困窮し、空腹のまま亡くなっていった学生のために米などがそなえられ、参列者が献花を行いました。

反戦を誓い碑前に献花する参列者