松井氏が公約に掲げる「新しい公共」(同氏の政策集より)

 京都市長選(2月4日投票)に立候補している、元通産官僚・元民主党参院議員の新人・松井孝治候補は、公約で、「すべての人に『居場所』と『出番』のある京都~市民がともに支える『新しい公共』」「住民参加で京都市のビジョンとミッションを再定義」をスローガンに掲げます。その内容は、今まで以上に自治体の公的役割を投げ捨て、利益の出る業務は企業に開放し、利益の出ない業務は地域コミュニティーなどに丸投げしようとするものです。

 公約の基本政策で、「市民がともに支える『新しい公共』」について学区単位の住民組織、ボランティア組織と行政が連携し、地域ぐるみで市民の安全や生活を支えるとし、「住民参加で京都市のビジョンとミッションを再定義」については、「町衆の公(おおやけ)への思いや心意気を活かし、共助、互助の精神を積極的に取り入れ、公助が有効に機能する住民参加型の京都ならではの行財政改革を推進する」としています。

明治期の話を例に共助迫る

 昨年12月27日に行われた政策集発表会見で松井氏は、明治初頭に京都で住民・地元企業が「かまど金」と呼ばれる資金を拠出して、全国に先駆けて番組小学校を建設したことや、閉校になった元番組小学校の龍池小学校跡地に、京都国際マンガミュージアムを建設する際、地元が資金の一部を拠出したことを“美談”として紹介。

 その上で、まず自分で出来ることは自分でやり、自分でできないことは共助で、それでもできないことは公助で面倒を見るが、「まず税金で面倒を見るという発想には立たない」と強調。

 市長選の公開討論会でも「『新しい公共』、要するに官とか政が担う公ではなくて民が担うのが京都の特徴。官が担う公共ではなくて民が担う公共を実現していきたい」と訴えました。

 これを聞いた、西郷南海子さんは、左京区養正小学校で行われた演説会(1月24日)で「住民同士で支え合え、というのは政策でなく、彼の主張」と批判しました(要旨別掲)。

発想“うり二つ”まさに門川後継

 マニフェストで「公共の役割の再生」を掲げ、公務の民営化や非正規化、業務統合のあり方については、あるべき公共的責任の観点から検証する、と主張する福山候補とは真逆の考え。

 「社会的な課題の解決、これを税金で、公務員が、行政がやらなければならないという時代は終わっている。民間の力を最大限に活かす」(2020年9月、「財政健全化推進本部会議」幹部職員への訓示)と豪語し、“乾いたタオルを絞る”ような「行革」で市民サービスの切り捨てや民営化、負担増・値上げを進めてきた門川市長と“うり二つ”の発想です。

第1回「『新しい公共』円卓会議」で発言する松井氏(当時は内閣官房副長官)

 松井候補の主張「新しい公共」は、1980年代から先進国で始まった、財界の意向を受けて国家による福祉・公共サービスの縮小を進める新自由主義の発想にもとづくもので、90年代にイギリスで始まった福祉・公共サービスを民間化していく「ニュー・パブリック・マネジメント」の手法を日本に輸入しようとしたもの。

 松井候補は2006年、自身のメールマガジンに住民の資金拠出で建設された番組小学校や、住民が一部資金を提供した京都国際マンガミュージアムの例なども挙げ、「新しい『公』づくりのひとつのモデル」(自著『この国のかたちを変える』に収録)と持ち上げました。

 民主党政権誕生(09年)の翌年に結成された「『新しい公共』円卓会議」に内閣官房副長官として参加。同会議は、「公共」=「官」との考えを否定し、福祉・公共サービスの民間開放を推進。自民党政権にもこの政策は引き継がれ、行政サービスの切り捨てや民営化が一層加速し、国をはじめ、京都府・市など全国の地方自治体に多くの弊害をもたらしました。

大田氏

 「新しい公共」を松井候補が主張していることについてイギリスの行政法を研究する大田直史・龍谷大学教授は「理解に苦しむ」と頭をひねります。

大田氏「『公』の撤退・責任放棄につながる」「破綻済みの古い行政手法」

 「本家イギリスでは、公共サービスを民間化する『ニュー・パブリック・マネジメント』が注目を浴び、2010年頃から個人や地域コミュニティーなどに公共を肩代わりさせようとする『大きな社会』と呼ばれる政策も行われましたが、結局成功しませんでした。その後、民間化していた事業を公共に戻す再公営化と呼ばれる動きが出てきています。『公』の撤退・責任放棄につながりかねない古い破たん済みの『新しい公共』のどこが新しいのか。無責任と言わざるをえない」

政策発表の会見での発言

 町衆の伝統、要するに京都の市民が行政の一翼を担うんだという意識、当事者意識っていうのは日本で1番ある町が京都だと思います。そういう誇りをどう生かしていくか。共助とか互助の世界。一時、菅総理大臣が「自助・共助・公助」と言ってそれを某野党が批判したことがありましたけど、とんでもない。「自助・共助・公助」っていうのは順番ですよ。これはもう地方自治の大原則です。まず自分でできることは自分でやる。だけど、自分でできないことはお互いが支え合って、それでもできないことは公助の世界で。官庁を含めて公共の世界で、税金の世界で面倒見る。だけど、まず税金で面倒を見るっていう発想には立たない、というのが私の基本であります。従って共助、互助でまちづくりをするというのが大事な、大事な原則であります。

公開討論会での発言

 私自身これ政権にいた時に言ってたことなんですが、「新しい公共」、要するに官とか政が担う公ではなくて民が担うっていうのが私は京都の特徴だと思うんです。京都の町衆の心意気、それをしっかり引き出して、そして本当の意味でね、本当に官が担う公共ではなくて民が担う公共というのを実現していきたい。そして市役所の組織やあるいはカルチャー、これをしっかり変えてですね、本当の意味での行財政改革を実現していきたい。

 

“住民で支え合え”は政策じゃない

西郷南海子さん〔1月24日の左京区・養正小での訴えより〕

 門川さんの後継者の話に戻りますけれど、先日の公開討論会で彼(松井候補)はこんな風にいいました。「京都市はこれ以上なんでもかんでもやってあげることはできないから、住民同士で支え合ってほしい」

 「住民同士で支え合え」というのは政策ではないですよね。彼の主義主張なわけです。ここ左京区ではコロナ禍の真っ最中に、非常に痛ましい事件が起こりました。それは福山さんも演説の中で何度も触れられておられますけれども、重い障害を持ったお子さんのお母さんが、将来を悲観してお子さんを殺してしまう。そして自分も自殺しようとしていた。そういう事件です。

 これは何もお母さんが勝手に悲観したのではなくて、いろんなところに相談しても将来が見えなかった。その結果、彼女が選んでしまったことなんですね。

 私、この裁判の一番最後に見に行ったんです。裁判長がこう言いました。これは誰でも抱きうる絶望だ。同じ立場に置かれたら誰でもそういう風に感じてしまう、思ってしまう、行動してしまう。でもね、これを裁判所が認めるって非常に危険だと私は思いました。

 じゃあ誰が責任取るねんと。私は、それは地方自治体であり、国だと思っています。