松田孝枝さん感謝のつどい「住民要求実現めざす粘り強い活動引き継ぐ」共産党・竹川ますお候補が決意 精華町議選5月11日投票

精華町議会で初の女性議員であり、6期24年務めた日本共産党の松田孝枝議員が今回の同町議選(5月11日投票)で出馬せず引退を決めたことを受け、支援者らに感謝を伝えるとともに、大激戦の町議選で支援の輪を竹川ますお候補に引き継ぐ、つどいが5月2日、精華町コミュニティホールで行われ、約40人が参加しました。
与謝野町出身の松田さんは、京丹後市網野町で育ちました。高校卒業後、京都大学に職員として就職。60年安保闘争の最中、デモに参加するなかで政治について学ぶ必要性を感じ、立命館大学法学部に進学しました。
結婚後、宇治市、城陽市に移住。城陽市で一軒家を購入すると義父母と同居。4人の子どもと含め8人家族の家計を助けるため、共同保育をしたほか、保育士資格を取得して城陽市の学童保育の立ち上げに参加。その後、精華町の保育所職員、園長を務めました。精華町に女性議員が必要と考え、2001年に初当選。同町議会副議長や監査委員などを歴任しました。府議選にも挑戦しました。
つどいでは、里山をめぐる活動の仲間や教え子の親、難病の孫を持つ女性(発言要旨別掲)、日本共産党山城地区委員長を務めた浜田良之府議らが松田さんの思い出を語りました。
浜田氏は、松田さんが日本共産党京都府委員会のホームページで「ねばり・行動力 頼れるくらしのパートナー」というキャッチフレーズで紹介している通り、子どもの医療費無料化、小中学校の給食費の完全無償化などの実現に向けて、尽力したことなどを紹介しました。
松田さんは、これまでの歩みを振り返り、支援してくれた人々に感謝を述べました。議会質問で、在来種の生態を脅かす外来植物駆除に向けた活動や、データセンターによる環境被害、交通の安全など多様な問題を取り上げてきたことを述べ、「議会活動の中で出会った方々と真剣にお付き合いしてきたことが大きな宝になり、人生の転機にもつながった」と語りました。
参加者から「松田さんは尊敬する保育士。背中を追って来た」「平和が一番大切という思いを貫いてこられた」「トイレの洋式化や、体育館のクーラー設置など、いち早く取り上げ、実現してきた。議員時代には大変世話になった。センスのよい提案を次々されて舌をまいてしまう」などの発言が出されました。
松田さんの活動地域を引き継ぐ、竹川候補が発言。議会質問にあたってじっくり研究する「議員の鏡のような存在」であり、保守系議員からも頼られる存在であることを紹介。住民の要求を粘り強く取り組み、実現していった松田さんの活動を引き継ぐ決意を述べました。
つどいでは、松田さんの故郷・京丹後市の源進一市議、城陽市で交流のあった河村明子元城陽市議、西山登紀子元参院議員、松田さんの長女のビデオメッセージ、井上さとし、倉林明子両参院議員、堀川あきこ衆院議員のメッセージが紹介されました。
感謝しようがないくらい、感謝の念でいっぱい
松田さんを支援してきた難病の孫を持つ女性(72)
孫は6年前、難病で多くの障害を抱えて生まれました。常時医療的ケアが必要です。家族は保育所に入れてやりたいと願いましたが、当時医療的ケアの問題は話題にもならず、途方に暮れていました。松田さんに相談したら親身になって考えてくださり、町議会でも取り上げてもらい、2020年8月、生後1年11カ月で入所することができました。21年9月に、精華町は「医療的ケア児の保育所等受け入れガイドライン」を作成し、医療的ケア児を受け入れる仕組みがつくられました。
コロナ過を経て、保育士の先生方からも「保育所に看護師を配置してほしい」との要望が出され、松田さんも要望され、今年度から、まだ全保育所ではないですが、医療的ケア児がいなくても、看護師が配置できるようになりました。
松田さんは医療的ケア児が学校に入学できるよう、町に話をされ、議会にも要望されて、学校看護師を配置する仕組みがつくられ、孫は今年4月、精華町立の小学校に入学することができました。
松田さんの熱意でこどもたちが守られました。感謝しようがないくらい、感謝の念でいっぱいです。