八坂神社舞殿で披露された鷺踊。頭部には鷺頭の冠、背と腕に羽をつけ、片足を上げて舞います(11月20日、京都市東山区)

故・谷ひろしさんの技を継承

 人形劇団京芸の立ち上げから代表を務め、10月7日に96歳で他界した谷ひろしさんが1980年代に製作した祇園祭の鷺踊(さぎおどり)の子ども用装束を、人形劇団京芸美術部が約40年ぶりに全面修繕。八坂神社本殿が国宝に指定されたことを祝う奉祝行事の一つとして20日、同神社舞殿で披露されました。

 河内将芳・奈良大学教授の研究によると、鷺踊は、かつて祇園祭の際に鷺舞として舞われていました。古文書に「笠鷺鉾」、「鵲(かささぎ)鉾」が登場し、八坂神社所蔵の『祇園会山鉾事』に、「さきほく」(=鷺鉾)と「かさほく」(=笠鉾)を別記した記事があることから、笠鷺鉾や鵲鉾は、笠鉾と鷺鉾(鷺舞)が対となって存在したことが明らかになっています。また、鷺舞の姿は『月次(つきなみ)祭礼図屏風(模本)』=東京国立博物館蔵=に描かれています。

 山口県山口市や島根県津和野などで伝承されたものの、京都では途絶えたことから、伝承地に学び、50年代に京都の祇園祭で復興。80年代になって大人の踊りとともに子どもの踊りも行われることとなりました。

 復興の中心を担った狂言役者・二世茂山千之丞さん(故人)が子ども用の装束製作の際、懇意にしていた谷ひろしさんに依頼したもの。

 伝承されていた装束は、背中から放射線状に伸びる羽の素材をヒノキ板としており重量がありました。谷さんは「子どもでも踊れるよう、なるべく軽く」と自ら削った竹ひごの外枠に、薄絹を張るよう設計し、完成。頭部につける鷺頭の冠も軽量素材でつくりました。

 谷さんと美術部が毎年補修に携わっていましたが、谷さんが高齢となり、美術部が継承。

 今年、八坂神社からの依頼で傷んだ羽の全面的な作り直しが決まり、美術部が行うことに。谷さんのように竹ひごづくりから行うことは困難なため、長岡銘竹株式会社(大山崎町)の協力を得て新たに竹を加工し、薄絹を張って完成させました。

舞い終えた子ども鷺頭のひもをほどく狂言師の茂山あきらさん(左)と人形劇団京芸の長谷川さん

 製作に携わった長谷川友香さん(40)は、「長短ある羽を交互に組み合わせて本物のように見せる美しいデザイン、

また操作性も高い。動く人形を作り続けてきた谷さんだから作り出せたものだと改めて思いました。完成を見てほしかったが、天国から見てくれたと思う」と語っていました。

新調された羽。竹ひごに薄絹が張られています