市民の手で守られ、戦時の処分をまぬがれた「青い目の人形」のメリー(右端)らを紹介する中野さん(2019年8月)

 城陽市長選(9月5日告示、同12日投票)に立候補を表明している、中野きょうこさん(75)は、小学校教諭を退職後、「青い目の人形」と呼ばれる西洋人形を通した、平和の語り部活動をライフワークにしています。

 「青い目の人形」は、1927(昭和2)年に日米親善のために米国から日本の子どもたちに贈られたもので、学校や幼稚園で歓迎されましたが、太平洋戦争が始まった1941(昭和16)年を境に「敵国人形」と言われて憎悪の対象とされ、98%が処分されました。

 語り部を始めるきっかけは、そんな不運に遭いながらも、校長が校舎に隠したり、女性教員や関係者に預けたりして、戦禍を生き延びた人形の存在を知ったこと。中野さんは、「この人形を通して戦争の歴史や平和の願いを子どもたちに語れるのでは」と思い、退職した2004年から資料集めに全国を奔走。京都に残る8体の人形の保管、発見に貢献してきました。

 各地に残る人形に出合い、戦中の「学校日誌」や当時の新聞報道などを調べ、軍の命令に従って教員が人形の焼却、竹やりで突き刺すなど戦意高揚を担ったこと、「人形には罪がない」「子どもの目の前で壊したくない」と考えた人がいたこともわかりました。「戦争の狂気とその中で人形を守った人の覚悟を思うと二度とあの時代に戻してはいけない」と言います。

 話す時は、人形を傍らに置き、オリジナルの紙芝居を用いて人形と戦争の歴史を語り、言論の自由の保障、不戦を誓った日本国憲法の内容を意識して紹介しています。

 これまで、「平和のための京都の戦争展」をはじめ、南丹市立文化博物館や福知山市の放課後児童クラブの企画に呼ばれるなど、引っ張りだこに。「始めは“怖い人形”と言っていた子が、話に聞き入ってくれると何とも言えずうれしい」

 元は「平和は子どもから」との願いを込めて贈られた「青い目の人形」。中野さんは、「子どもはまっすぐにメッセージを受け止めてくれます。人と人との交流による平和な世界を願って、次世代に語る活動を続けたい」と話しています。