本紙連載「龍馬、新発見」の執筆者・中村武生さん(幕末史研究者、京都女子大学非常勤講師)を講師に招いた企画「龍馬座談会 partⅡ~寺田屋事件を考える」が1月20日、伏見区竜馬通り商店街内の「咲蔵」で開かれました。日本共産党府議の馬場こうへい事務所も含む実行委員会が主催しました。

 中村さんは、坂本龍馬が襲われた(1866年)寺田屋が、鳥羽伏見戦争(68年)で焼失し、京都―大阪間東海道線開通(77年)後廃業したものの、寺田屋で戦死した(62年)有馬新七ら薩摩島津家9士の顕彰地として脚光を浴びて、跡地に石碑が建立されたことや、日露開戦直前の1904年2月、明治天皇皇后の夢に龍馬が現れたことをきっかけに、無名だった龍馬が注目され、跡地西隣に営業再開される(06年)ことになった経緯を紹介。

 その後、京都市と伏見町の合併に向かうなか、寺田屋が伏見のシンボルとしての性格を強め、公爵徳川慶喜(元15代将軍)が訪れる(13年)など知名度が上がったことを指摘。

 さらに、70年代に濠川を埋め立てる伏見再開発計画が浮上し、取り壊しの危機に遭いましたが、寺田屋の国史跡化を目指す運動や、寺田屋や濠川を守り歴史的景観を修景する西川幸治・京都大学教授主導のまちづくり案提案などにより再開発計画が中止されたことなどを解説しました。

 また、司馬遼太郎の『竜馬がゆく』にある大政奉還は龍馬の独創との説を、様々な史料を示して否定しました。

 講演に先立ち、同商店街にある龍馬館の藤崎壮滋店長、京都民報社の真下哲・編集長があいさつしました。