「蟹工船」156万部突破!! 私も読んだよ 感想文(1)
テレビや新聞でプロレタリア文学の代表作、小林多喜二の「蟹工船」が取り上げられ注目を集め、“ブーム”が続いています。新潮社が出版している『蟹工船・党生活者』は、156万1千部(8月13日時点・累計)を売り上げています。「蟹工船」は若者にどのように読まれているのか、どんな感想を持ったか聞きました。
京都市内に住む古川久実さん(27)は、今年2月頃の「蟹工船」のエッセーコンテストの紹介や小林多喜二没後75年の記事を読み、「そういえば読んだことないな」と、4月頃自宅にある小林多喜二全集の「蟹工船」を読んだそうです。古川さんが「蟹工船」を読んだ感想を紹介します。
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「蟹工船」は、労働者がいたぶられたり搾取される様がリアルに描かれています。船に集まった人たちが何をしていたか、資本主義のしくみの中でどうやって貧しい人が集まったのか…例えば「学生17、8人」が蟹工船に乗るために60円前借りして「汽車代、宿料、毛布、布団、周旋料をとられ船に乗った時には1人7、8円の借金になっていた」と描かれています。蟹工船に乗って、刹那的になり退廃が進んでしまって、故郷へ帰れなくなってしまうことも描かれていて、貧困・生活苦が個人の責任でないことがリアルにわかるところがすごいと思います。
「蟹工船」はすばらしい資本主義批判だと思いました。
労働者が段々自分たちがつくった蟹の缶詰の価値に気付いたり、船を持っている資本家が都会で好きなことができたり監督が威張れたりするのは労働者がいるからだと気付いたりするところも面白いです。蟹工船に乗る前も、乗ってからも大変な生活を強いられる人々を、労働者階級の視点で描かれているから連帯感を感じられるんだろうなと思いました。
「蟹工船」に共感する部分は読む人によって違うと思いますが、資本主義の枠組みの中で苦しんでいる自分を感じたり、「苦しいのは自分だけではない」ということや「“苦しい”“おかしい”と声をあげていい」というところが魅力だと思います。
「蟹工船」を再読した後、『私たちはいかに「蟹工船」を読んだか』という、小林多喜二の「蟹工船」をテーマにしたエッセーコンテストの入賞作品集を読み、「蟹工船」を読む視野が広がりました。中学生が、サッカーチームの練習や日常生活に引き寄せて「蟹工船」を読んでいて驚きつつ、「なるほどな」と思いました。「バット」についての父と子のやり取りに、「素敵なお父さんだな」と思いました。
この間、SABU監督新作映画蟹工船を観に行きました。
しかし、ここまで酷く描く作品は観たことありません。
私は若いときに原作を読んだ記憶ありますが昨年の蟹工船ブームになっていたので再読しました。1953年山村惣監督の蟹工船も観ました。
リアルでおっさん臭いほど演技が光る重圧感と虐げられた労働者たちが起ちあがるシーンは感動そのものです。
新作ではどうかというと時代無視、どこか懐かしい昭和30年代の日本の面陰を散らす。船内の糞壷はまるで大きな蜂の巣みたい。天井剥がしたようにかなりある配管。作業場にはコンベアを動かす大きい歯車があります。まさにSABU監督らしい演出です。だがお話は原作と違い、呆れるほど貧乏自慢話や集団自殺?これって誰に観せているのかわかりません。
さすがに途中で帰ると思いました。まあ。最後まで観るのが礼儀でしょう。
前編ではこんな感じで進み、後編にあたりかな?小林多喜二の原作が息吹き返してくるが、行方不明になった二人の漁夫がロシアで救助され、ロシア人たちが踊っている船内で怪しげな中国人が話かけてくる。この台詞は謎説きのようにへんな日本語で説得する場面であるが、笑わせるところでしょうが私はイライラしてまったわい。戻ってきた二人の漁夫。そのうちのリーダーの漁夫は労働者たちを団結させ、ストライキ突入。要求書を持って浅川監督に渡すのだが、その翌日。駆逐艦の水兵たちに包囲させる?じゃない。
宇宙船のような将軍と一人の水兵でした。突然、浅川監督がリーダーの漁夫の背中にピストルで打たれてしまう。リーダーの漁夫が叫ぶ。ロシア人や日本人なんて関係ない。みんな、同じ歯車じゃないかと云って死んでいくリーダーの漁夫の役松田龍平くんの演技は素晴らしいかったと思います。
そして、SABU監督も感動したという、彼等は起ち上がった、もう一度というストーリーです。だから、前編の方で作業場シーンに労働者の表情のアップ、全体の繰り返しの演出すること。同じアングルではあまりよくない。
蜂の巣のような糞壷シーンも同じアングル。映画なのに舞台を観ている感じです。役者の台詞が聞き取りにくいところが多い。映画監督は最低劇作家シェークスピアを読むべし。
蟹工船は優れたプロレタリアート文学であり弱い立場の視点で描いたものです。
映画監督選び方が間違ったのでしょう。
文学的知識を持った職人の映画監督ならばしっかりした蟹工船の映画になったかもしれません。
SABU監督のようなポップアート表現主義は悪く思わないがかえって自己意識が強くなりがち、これはオリジナル作品だったら良いでしょう。
蟹工船は文学性の高いものであるから、映画製作担当者は真剣に考える必要ではないでしょうか。