オマールさん(中央)と広島文理科大学の学友 中村千重子さん提供

 第2次大戦中の日本の東南アジア占領政策「南方特別留学生事業」でマレーシアから来日させられ、広島で被爆して亡くなったサイド・オマールさんの法要が命日の9月3日、京都市左京区の圓光寺で開かれます。オマールさんの足跡を追い、核廃絶や原発の危険性を訴えたドキュメンタリー映画『ヒロシマが泣いている フクシマが泣いている』の上映と、監督で歯科医師でもある古田博一氏(63)の講演が予定されています。

 オマールさんはマレーシアの王族の子弟で、文部官僚を目指し、広島高等師範学校、広島文理科大学で学びました。1945年8月6日、広島市内の学校寮で被爆し、9月3日、京大病院で亡くなりました。18歳でした。京大病院では、担当した濱島義博医師が自らの血液を輸血するなど献身的な治療を受けました。

 イスラム教の教義では死亡後24時間以内に埋葬することとなっており、日本基督教団北白川教会の奥田成孝牧師の尽力で、京都市営大日墓地(京都市左京区)に埋葬されました。葬儀には濱島医師や留学生らが参列しました。

 戦後、「オマールさんにふさわしいイスラム様式の墓地を」との声が市民からあがり、1961年、圓光寺に墓碑が建てられ、小説家・武者小路実篤が碑文を寄せました。

 地元、修学院小学校で教えていた早川幸生さんが、父母らと地域学習を実施した90年に、圓光寺でオマールさんの存在を知り、以後、子どもらと調査・研究、顕彰してきました。

 古田監督は、母方の祖父の墓地が圓光寺にあったことから、オマールさんの墓のことは知っていました。また、父方の祖父が広島で被爆し、原爆被害の惨状に心を痛めるとともに、元京都歯科医師会会長で、広島で被爆して社団法人京都府原爆被災者の会会長も務めた平塚哲夫氏との出会いから、オマールさんの足跡を後世に語り継ぐ必要があると強く認識しました。東映京都撮影所で働いていた経験も活かし、平塚氏や、濱島医師らをインタビュー。製作の最中に、東日本大震災と福島第一原発事故が起こり、原発も核兵器同様の被害をもたらすことを知りました。菅直人元首相らも取材し2015年に作品を完成させました。

核の恐ろしさ、世界の人々に訴えたい

 同作のシナリオを書籍(あいり出版)として出版。多くの人に知ってもらおうと19年には、絵本『オマール王子の旅―広島で原爆に遭った南方特別留学生』(同)も出版しました。

 古田さんは「ロシアのウクライナ侵略によって、原発は核兵器と同様の危険性があることも明らかとなった。原爆開発者を描いた映画『オッペンハイマー』が米国で公開されるなど、今、原発や核兵器について関心が高まっている。核を持つことや、核の傘に入ることが抑止力になるのではなく、核の恐ろしさを伝えることが抑止力になるということを、映画を通じて各国の首脳や、世界の人々に伝えたい」と語ります。

 映画上映と講演①午前11時②午後2時半。また、会場では増田正昭氏の「オマールさん肖像画」も展示されます。無料。問い合わせ☏090・2597・3911(早川)。

映画『ヒロシマが泣いている フクシマが泣いている』で故・平塚哲夫氏が広島での原爆投下や南方特別留学生について語る場面