講演する三枝氏

 北野天満宮が創建された平安中期から同宮と結びついてきた商工業者「西京神人(にしのきょうじにん)」の研究を基に、中世をとらえ直した三枝(みえだ)暁子・東京大学大学院准教授の著書『日本中世の民衆世界―西京神人の千年』(岩波新書)の出版記念講演会が昨年12月18日、京都中京区の京都アスニーで行われ、市民ら約100人が参加しました。

 三枝氏が西京神人の研究を始めたきっかけは、東京大学で研究生活を送っていた2003年に住民の紹介で西京神人の家の川井家(京都市中京区)を訪れ、中世につながるコミュニティーが残っていたことを知り、驚いたこと。05年から立命館大学に就職し、16年3月まで11年間、京都に在住し、川井家を訪ね、フィールドワークを重ねました。

 三枝氏は講演で、文字を駆使でき、史料を残せた支配者側だけの視点になりがちで、時間的隔たりのある現代との関連が見えにくい制約がある中世史研究においても、文字史料とフィールドワークの研究を重ねることにより民衆の歴史や現代とのつながりを明らかにすることが出来る、と示すことが出版の目的だった、と語りました。

 ▽西京と西京神人▽北野天満宮の創祀(そうし)▽中世の西京と西京神人▽近世以降の西京神人▽西京の現在―を柱に、著作の内容を平易に解説しました。

 北野天満宮の創祀について、10世紀前半期に、道真を「天神」としてまつろうとした、様々な民衆たちの動きがあったとし、西京神人の末えいにより明治40(1907)年に結成された「七保会」によると、西京神人は、北野の地に「京都における最初の天満宮」となる安楽寺天満宮を創建し、道真手彫りの「御自身像」をまつった、と伝えていることなどを紹介。 

 さらに、北野天満宮を崇敬する室町幕府4代将軍・足利義持から6代将軍・義教の時代まで、北野天満宮の祭祀に関わっていた西京神人が麹(こうじ)の製造・販売の独占権を付与されたものの、独占権がはく奪されたことに抗議して北野天満宮に立てこもったことから、幕府軍と合戦(文安元年=1444年=の「文安の麹騒動」)となった背景には当時、商工業者も武力を行使する存在であったことを指摘。

 近世以後の西京神人については、慶応4(1868)年の神仏分離政策により、安楽寺天満宮が、一ノ保社(いちのほしゃ)となり、北野天満宮の境内末社に、境内地が上地(国への召し上げ)となり、その後、民間に払い下げられ、選佛寺の所有になったほか、西京神人をはじめ、西京の人々によって行われてきた瑞饋祭も中断を余儀なくされたことなどを解説。

 主催者の安楽寺天満宮保存会の佐伯昌和代表理事会長、後援者の西之京瑞饋神輿保存会の荒田匡会長がそれぞれあいさつ。司会は、後援した七保会の●積徹氏が担当しました。

 佐伯氏は、安楽寺天満宮の元境内地の一部が、選佛寺から西京神人・川井家に移り、同宮が復興され、川井家が私費で祭礼・境内地管理を行なってきたものの、近年、相続税などの問題により、北野天満宮が土地を所有・管理・祭礼をすることで安楽寺天満宮が維持されることになった経緯や、2021年に法人格を取得した一般社団法人安楽寺天満宮保存会が祭礼に参加している現状などを報告しました。

●は「土」の下に「口」

安楽寺天満宮