奥野恒久氏

 ロシアによるウクライナ侵略を受け、自民党や日本維新の会は、憲法9条改憲や核共有、敵基地攻撃能力保有など軍事的な「抑止力」の強化を主張し、国民民主党も前向きな姿勢を示しています。こうした「抑止力」論の問題点について、龍谷大学教授の奥野恒久さん(憲法9条京都の会事務局長)に聞きました。

 「抑止力」論とは、相手国に対して「攻撃すれば、反撃され自国に相当な被害が出るかもしれない」と恐怖を持たせ戦争意志を抑えるというものです。

終わりなき軍拡競争「ジレンマ」に

 しかし、「抑止力」論は現実的・普遍的なレベルで問題を多く抱えています。まず、論が成り立つためには、相手国と同等かそれを上回る軍事力が必要となります。そして、相手国が軍事力を増強すればこちらも増強し、こちらの増強が相手の増強を誘発するという際限ない軍拡競争となり、安全は永遠に保障されません。これが「安全保障のジレンマ」と呼ばれています。

 「抑止力」論の前提の一つは、相手国が合理的・理性的であることです。つまり、前提を欠いて自国の被害を辞さない政権が出現すれば、成り立たないのです。どんなに暴走する指導者が出現したもとでも、安全を確保するためには核兵器廃絶、大幅な軍縮に進むしかありません。

人命・人権尊重の視点なく

 そして、「抑止力」論は人命・人権の尊重という視点を全く欠いたものです。私たちはウクライナ人民の被害や逃げ惑う姿に心を痛めていますが、「抑止力」論では反撃により相手国の人民を殺害する、広島・長崎のような悲劇までも辞さないというものです。皆さんは、日本がそんな国になってもいいのでしょうか。そして、相手国の人民の人権などお構いなしの権力は、自国内において敵・味方を区分し、敵側の人権弾圧に乗り出すでしょう。

 また、軍事費を増やせば、福祉・教育などの分野を圧迫します。戦前・戦中のように国民の監視・言論統制も強まるでしょう。監視・統制は自衛隊による反戦デモ敵視にすでにあらわれています。仮に武力で安全が守られても、権利・生活が圧迫されている国民は幸せでしょうか。

「対話による平和構築」の努力ない

 安全保障では、いかに攻められない関係をつくっておくかが重要です。日本政府は中国や北朝鮮の行動を批判はしても、徹底して対話を続けて平和を構築する努力はしていません。どんなことがあっても戦争にならないよう努めるのが、憲法9条を生かした平和外交ですが、この努力もせず、「軍事対応」だけを追求することは大問題です。

 そして、憲法9条のもとで、日本は「安全保障のジレンマ」に陥る軍拡競争にはそもそも加わらないし、国民の言論・表現・生活を破壊しないよう軍事を封じ込めてきたのです。