嵐圭史さん

大正デモクラシー最後の最後の瞬間に灯った「良心」

 前進座の大看板として活躍し、喜寿を機に独立して活動する俳優・嵐圭史(あらし・けいし)さんは11月22日(月)、幕末、ドイツの医師・シーボルトに師事した蘭学者で医師・伊東玄朴(げんぼく)や高野長英を描いた「玄朴と長英」(真山青果(まやま・せいか)作、十島英明演出)を、オペラ歌手の池田直樹さんと府立文化芸術会館で上演します。嵐圭史さんに、作品の内容や成立時の情勢、上演への思いなどを聞きました。

作品に反映した新思想への憧憬

 幕府の外交政策を批判し、逮捕され終身刑となった(=言論弾圧事件「蛮社(ばんしゃ)の獄(ごく)」)長英は、牢内雑役を使って牢屋に火を放たせ脱獄。かつて同門の玄朴宅を訪れます。「玄朴と長英」は、新たな時代の到来をめぐって繰り広げられる近代日本戯曲の傑作ですが、真山青果は詳細な調査に基づき、当時の知識人の思想や、世相を浮き彫りにします。

 高野長英は脱獄後、硝酸銀で人相を変え、逃亡資金を得るため、「金を貸せ」と伊東玄朴に迫ります。

 玄朴は、隠し持っている西洋の民法の書に「上は宰相から下は賎民卑族に至るまで、みな一個同権の民として規律されている」と書かれていると、長英の考えに理解を示しながら、本の内容が役人の耳に入ったら「蘭学の命脈が途絶えてしまう」と警告し、魅力的な長英の言葉に引き込まれまいと苦悶します。

 長英は、「火輪船(かりんせん・汽船)でやって来りゃあ、上海から江戸まで、たった4日で来られるんだぞ」「人民の耳をおおうて暗黒の中に眠らせようとしても、目が覚める時が外に来ているんだ。外はもう朝だよ」と目を覚ますよう訴えるのです。

 作者の真山青果先生は天皇崇拝の方なんですが、大正デモクラシーと言われた時代に、仙台の第二高等学校の同級生・吉野作造などの影響を受け、心の片隅にあった民主主義や新しい思想に対する憧憬が作品に現れていると思います。

  圭史さんは、作品が1924(大正13)年に書かれたことを、重視しています。

 すでに日本共産党や社会主義者に対する弾圧が行われ、前年(23年)には、関東大震災に乗じて日本共産青年同盟委員長の川合義虎や、社会主義者の平澤計七(けいしち)、朝鮮人らが虐殺され、翌年(25年)に治安維持法が公布、昭和に入ると絶対的な言論統制、侵略戦争へと突っ走っていく。

 大正デモクラシーの息の根が完全に止められる、その最後の最後の瞬間に灯った“良心の戯曲”だったのです。1年遅れたら書けなかったでしょう。油断をしていたら一瞬にして暗黒の時代になってしまうことの警告とも取れます。

 安倍政権のもとで、秘密保護法、共謀罪、戦争法と戦前回帰の法律が通された。再び暗黒の時代を迎えないために、この作品の上演は重要です。

先達の無念を刻み新たな社会実現へ

 圭史さんが、初めてこの作品を見たのは10代で、玄朴役は初代松本白鸚(はくおう)、長英役は八代目市川中車(ちゅうしゃ)。長英に惹かれたと言います。前進座の正座員になった直後の試演会、後に前進座劇場で、いずれも長英役。しかし作品成立時の状況を考えるようになったのは最近のことです。

 前進座を離れ、新たな創造活動・出発(たびだち)には絶対この作品、と上演を決めました。昨年の春先、そして秋と、およそ40地域50ステージの全国上演を組みましたが、コロナ禍で全公演が中止。

 そんなときに出会ったのが、治安維持法により、若くして犠牲となった日本共産党員最初の女性獄死者(*)・伊藤千代子の生涯を描く映画製作の話です。私はいま「勝手連」で、この映画の成功を願い微力を尽くしていますが、治安維持法の時代をとらえ直すなかで、「玄朴と長英」に今までとはまったく違う角度で光があたり、作品のすごさがわかってきました。

 高野長英は、8年間に及ぶ逃亡生活(地下活動)ののち見つかり、奉行所への道中で虐殺同然に殺されました。 長英や伊藤千代子を始め、多くの先達が自由な社会の実現を信じ、夢を見、志半ばで倒れましたが、私たちはいま、努力次第で国民が主人公の社会が実現できる手前に立っています。先達たちの無念を心に刻み、新たな社会実現への糧とするため、ぜひ、公演に足を運んでいただければと思っています。

 【昼】午後2時【夜】午後6時半。6000円(民主団体割引5000円)。「『玄朴と長英』京都上演実行委員会」の問い合わせ℡075・314・5011(京都民医連事務局・高梨)。

 *治安維持法犠牲者国家賠償要求同盟編「獄死者─国家権力の犯罪」より