退職教員や宗教者らも参加し核廃絶をアピールする「6・9行動」(2020年11月6日)

 広島、長崎に原爆が投下された6と9の日に毎月、被爆者救援を訴え、始まった「6・9行動」。京都では、京都教職員組合女性部が清水寺(京都市東山区)の境内で被爆者救援と核兵器廃絶の願いを発信し、この1月で50年を迎えました。22日に核兵器禁止条約が発効する新しいステージに移るもとで、「文字どおり核兵器をなくすまで」と決意を新たにしています。 

 「今日は、原爆で被爆された方の月命日です」「核兵器のない世界へ、みなさんの署名が世界を動かします」─昨年12月の行動では、参拝者に声をかけ、「日本政府に核兵器禁止条約の署名・批准を求める」署名を併せて呼びかけました。

 訪日客の多かった清水寺の雰囲気は一変し、国内の観光客でにぎわう境内。修学旅行で訪れた中学生が、「戦争も核兵器もなくしてほしい。日本も核兵器禁止条約に参加してほしい」と署名に応じ、「頑張ってください」と激励する大学生や家族連れの姿がありました。

 清水寺での「6・9行動」は、1971年1月6日にスタート。雪の日も雨の日も、行動参加が一人の時も、平和の心をつないできました。昨年は、新型コロナウイルスの感染拡大を受け、初めて休止した月がありますが、職域の「6・9行動」で、半世紀にわたり1298回を数えるのは、年月でも回数でも日本一の記録です。

 当初は、被爆者援護の連帯募金の訴えが中心でしたが、核兵器廃止署名に取り組み、集めた国際署名は8万6315人分(20年12月)。

 宣伝用のビラを、日本語、英語、中国語、韓国語、修学旅行生用の5種用意し、署名やカンパの協力者に、羽ばたく折り鶴をプレゼントするスタイルも継承しています。

 12月の行動に参加した元女性部長の手塚良子さん(85)は、分会員時代から参加している一人。「よく半世紀も続いた。みんなの力でつないだ努力のたまもの」と言います。

 核禁条約の発効は、核兵器廃絶を訴え続けた被爆者や国内外の市民社会の運動が実を結んだと話し、「私たちの行動もささやかながらその中に入っていると思うとうれしい」と感慨もひとしおです。

 清水寺での行動が1年を迎える時、寺から「いつまで続けるのか」と聞かれ、「核兵器が禁止されるまで」と答えた当時の婦人部長、溝内幸子さんのエピソードも引き合いに、「〝核兵器を廃絶するまで頑張ろう〟を合言葉に続けてきた」と言葉を続けます。

 女性部の平和の取り組みは、女性の権利向上とともに運動の大きな柱に位置づけ、創意工夫や平和教育と結んで継承されています。

 清水寺での行動に参加できなくても、鶴を折り、被爆者に贈る毛糸のひざかけのモチーフを編んで、みんなが平和の取り組みに参加してきました。竹中尚子女性部長(63)は、「会議をしながら鶴を折る。夏頃からは、平和を語りながら毛糸を編むのが恒例です」と言います。

竹中尚子女性部長

 かつてのように、有給休暇を取って行動に参加することは難しい学校現場の状況もありますが、昨今の行動は、退職教員、被爆者、宗教者、新婦人ら、男女や組織を問わず、参加の輪が広がっています。

 この「6・9行動」が長年続けられる秘訣について竹中さんは、核廃絶の願いを届けること、対話を通した参加者の学びの場であることを挙げ、とりわけ、子どもたちと「戦争や原爆のことを学校で勉強した」「核兵器はだめ」などと話が弾み、署名に応じてくれた時には、力を得ると話します。「〝教え子をふたたび戦場に送らない〟のスローガンの下、平和な世界を子どもたちに手渡すために核兵器廃絶まで、しぶとく続けていく心持ちでいます」と語っています。

「週刊京都民報」1月10日付より