鈴木大裕さん

 コロナ禍で一斉休校と分散登校を人々が体験したことで、子どもたちの安全と学ぶ権利を保障するには、少人数学級制の導入が必要という認識が、広く共有されるようになりました。競争と格差を生み出す新自由主義の世の中では、社会だけでなく学校も危機に弱かったのです。日本よりずっと先に新自由主義的な教育政策を展開してきたアメリカでは、むき出しの市場原理に子どもたちの学ぶ権利と教育現場が食いつぶされてきました。

 16歳で「自由と平等の国」アメリカに憧れて留学し、大学、大学院と教育学を学んだ後、28歳で千葉県の中学校教諭となり、6年半、英語を教えました。しかし、なかなか改革の進まない日本の教育への倦怠(けんたい)感は否めず、当時アメリカで行われていた新自由主義教育改革に憧れて再渡米し、大学院で学びました。ところがそこで見たものは、凄(すさ)まじい学校の序列化と教育格差、規制緩和による教師の使い捨ての実態でした。

企業による・企業のための学校

 アメリカはレーガン政権下の教育省長官の諮問機関が報告書「危機に立つ国家」を発表(1983年)して以降、新自由主義に基づいた教育改革路線を突き進んできました。そのシンボルとも言うべき制度として、全校参加の学力標準テストの点数に基づく画一的な評価の下で学校が序列化される中、各学校が生存をかけて生徒の奪い合いをする「市場型の学校選択制」が導入されました。それにより、営利目的であったり、点数アップだけを追求するスパルタ式のチャータースクール(公設民営学校)が激増しました。最大120人の子どもをいっせいにパソコンに向かわせ、監視員だけを置いておくという究極のコスト・合理化を追求し、莫大な利益を上げた学校もあります。ミシガン州では、チャータースクールの65%が営利企業による運営(2014年)でした。

 教育産業で飛躍的に売り上げを伸ばしたのが、世界最大の出版会社ピアソン・エデュケーション(本社・イギリス)です。テストの作成や全米25州の学力調査、運営などを行い、11年には94億ドルの売り上げが、翌年には156億ドルに急増。背景には、同社への政治家の天下りもあります。公教育政策を陰で動かしているのは、財界エリートであり、その目的は子どものためでも国のためでもない、多国籍企業の利益のためです。

安倍政権下で学校別の成績開示まで

 安倍政権は、「グローバル人材の育成」の必要性を説き、教育を財界のニーズに服従させてきました。また、旧民主党政権下で抽出式になった全国学力テストを、「きめ細かい調査」の名の下に、13年度から全員参加形式の悉皆式に戻し、同時に都道府県別だけでなく、教育委員会が認めれば学校別の成績まで開示できるように規制緩和しました。こうして公教育の市場化の基盤が整えられていったのです。

 15年には文科省が、全86の国立大学に対し、地域や社会の経済的ニーズに応えているかどうかを基準に、人文社会系の学部や大学院に廃止や再編成するよう求めました。つまり経済的な観点から「費用対効果」が得られないものには、税金は出せないという考え方であり、財務省は少人数学級にも同様に「費用対効果」を求めてきました。

 しかし、学校は人を育てる場所であり、先生は子どもたち一人ひとりの人としての成長を支援し、見守る大事な仕事です。そう考えると、子どもたちの教育において、数値で測れるものはほんの一部です。

 だからこそ、アメリカで進められてきた教師の「使い捨て労働者」化を後追いして非正規雇用に頼るのではなく、教室に集まった子ども一人ひとりの違いを教師が見極め、その多様性を祝福できるような少人数学級の実現が求められているように思います。