玉田玉秀斎
身振りたっぷりに会場をわかす四代目玉秀斎(1月29日)

 京都にゆかりのある講談の名跡を2016年、97年ぶりに襲名した四代目玉田玉秀斎は1月28、29の両日、先代の没後100年を機にJR京都駅ビル「そば酒房『徳兵衛』」で京都講談の復活公演を行いました。

 大阪市立大学法学部を卒業して国際弁護士を目指すも合格できず、苦悶していた四代目玉秀斎は、たまたま聞いた講談に魅せられ、四代目旭堂南陵に弟子入り。「旭堂はもともと関東の名跡。久しく途絶えている上方の名跡を復活させたい」との師の要望を受けて、上方ゆかり玉田玉秀斎を襲名しました。

 玉田玉秀斎は、江戸時代に京都を拠点に全国行脚した神道講釈師・玉田永教の流れをくむ名跡で、三代目玉秀斎(1856~1919)も京都で生まれ。「猿飛佐助」「真田十勇士」などを世に生み出しました。

 明治期の上方には玉龍亭一山、松月堂呑玉などの名がありましたがその後途絶えていました。

 復活第1回目の京都講談では、前座で弟子の玉田玉山が源平盛衰記の「宇治川の先陣争い」を、張り扇をリズミカルにたたきながら読む「修羅場読み」で披露。四代目玉秀斎は、「落語とよく間違えられる」などと笑いを取って舞台を暖め、2015年に創作した「光悦と宗達『風神雷神図屏風』落款の秘密」を熱演。本阿弥光悦が俵屋宗達を見出し、大成させるまでのドラマを軸に、宗達がのちに最高傑作とされる建仁寺蔵の「風神雷神図屏風」を描きながら落款を記さなかったなぞを独自の解釈で語りました。

次回3月16日「本能寺の変」

 第2回目(3月16日、17日、徳兵衛)は、『真説・本能寺の変』。小説家・木下昌輝の原案に基づいて創作したもので、本能寺の変の〝真相〟に迫ります。