青い目の人形
戦争の時代を生き延びた「メリー」(右端)と近年、新たに贈られた「青い目の人形」を紹介しながら語る中野恭子さん(9日、福知山市)

 日米の親善を願って日本の子どもたちに贈られ、太平洋戦争を境に、敵国人形として処分対象になった「青い目の人形」。その人形を通して戦争や平和について考える語り部を務める中野恭子さん(73)=城陽市=が今夏、ふるさと福知山市の放課後児童クラブの夏休み企画に招かれ、5つの児童クラブで、人形に込められた願いや歴史を語りました。

 「戦争で、たくさんの人が亡くなりました。戦争ではお人形さんもえらい目に遭ったんやで」。長崎に原爆が投下されてから74年を迎えた9日、佐賀地区の児童クラブに招かれた中野さんはこう口火を切り、大事にされていた「青い目の人形」が、戦争でどのように変わったか、話を進めました。

 「青い目の人形」は、移民として渡米した日本人を排除する米国の動きに抗し、米国市民から、日米友好の願いを込めて1927(昭和2)年に「日米親善友情大使」として日本の子どもに贈られたもの。全国に約1万2000体、京都府には262体が届き、府内の小学校に贈られました。

 しかし、41(昭和16)年の太平洋戦争開戦で、英語、洋楽の禁止と同様に、米国製の人形も〝憎き敵〟とされ、子どもの目の前で焼却、竹やりで刺すなど、戦意高揚に利用されました。大半が処分されたものの、「人形には罪がない」「子どもの目の前で壊したくない」と考えた教員らが、校舎内に隠したり、持ち帰るなどした人形が戦後、見つかりました。

 現存するのは、全国に341体、京都府内に8体。福知山市にはその貴重な1体の人形「ヘレン・ウッド」が福知山幼稚園で見つかり、市文化資料館で保管されています。

 「青い目の人形」をテーマにした中野さんのおはなし会は、昨年の同市昭和学区での講演を機に、今年、同市放課後児童クラブが、企業や民間から講師を招く夏休み企画の一貫として初エントリーしたもの。

 クラブ登録児童6人の佐賀地区では、佐賀小学校の児童や地域にも催しを案内し、子ども12人と指導員や保護者を合わせ約20人が参加。中野さんが持参した現物の人形「メリー」(個人保管)と対面し、美河小学校(大江町)での人形歓迎会の様子や、人形が飾れた教室で学ぶ庵我小学校の授業風景を報じた当時の新聞など、同市にゆかりの資料に見入りました。

中野さんの話に聞き入る子どもたち

 中野さんは、戦争の狂気とその中で人形を守った教師の心情、戦後の日本国憲法の内容に言及。また、人形の寄贈運動を呼びかけたギューリック氏の孫が近年、新しく始めた人形(新「青い目の人形」)による交流の広がりも紹介し、「人形が何を伝えているのか知ってほしい。戦争のない平和な世の中を作るため、語り継いでいきたい」と話しています。

 人の容姿をした人形より、縫いぐるみになじみがあるという5年生の女児は、「壊された人形はかわいそう。人形も大事にしない戦争は怖いし、したくない」と話していました。

 指導員の女性らも、「戦争にまつわる話だとは知らなかった。地元の身近な資料にも触れ、良い話が聞けた」「実際の人形も見て、子どもにインパクトのある話だった」などと感想を語っていました。

(「週刊京都民報」8月25日付より)