96条先行改正捨てていない

 小笠原  参院選を前に安倍首相は当初、憲法改正発議要件を3分の2から過半数へ緩和する96条改正を先行させるもくろみでした。ところが、従来の改憲派の人たちからも「近代立憲主義を理解しない暴挙」と批判され、現時点ではとん挫しかけています。
 山室  世論の支持が得られないと判断して、争点隠しさえ図りましたね。逆に、国民の間に立憲主義についての理解が広がるという効果がありました。参院選では憲法改正に必要な3分の2に達せず、集団的自衛権の行使容認という解釈変更による実質的な改憲をめざす動きを本格化させました。
 小笠原 はい。しかし、自民党は依然として96条先行改正を捨ててはいません。明文改憲と解釈改憲の動きは同時並行と見るべきだと思います。
 山室 今月の月刊誌「世界」(10月号)に、憲法を骨抜きにする一連の言動や動きについて、「『崩憲』への危うい道」と題して一文を寄稿しました。私が対外的に発言する時は、世の中があまり良くない時ですが(笑)、今の事態を見過ごしたら取り返しがつかない。
 小笠原 「憲法9条の思想水脈」の出版は、第1次安倍内閣の時でしたね。
 山室 「世界」に書いた文書の最後に、ナチスの軍人ヘルマン・ゲーリングの言葉を引用しました。彼は国民を戦争に引きずり込む手法について、「簡単なことだ。国民には攻撃されつつあると言い、平和主義者を愛国心に欠けていると非難し、国家を危険にさらしていると主張する以外には何も必要がない」と語っています。
 小笠原 北朝鮮の核開発や中国、韓国との領土問題を抱える今の日本の状況と重なるものがありますね。
 山室 集団的自衛権行使をめぐる一連の法整備の問題は一般の人には分かりにくいし、一方で耳に入りやすい俗論もあります。今何が起こっているのかを丁寧に情報提供することが必要だと思います。
 小笠原 本当にそうですね。集団的自衛権の行使が容認されてしまうと、9条そのものがあってなきが如き状態になってしまいますので、9条を守り生かすことを一致点にしている「憲法9条京都の会」としても、集団的自衛権の行使容認を許さない運動に正面から取り組みたいと思います。

東北アジアの非核地帯化を

 小笠原 日本国憲法が立憲主義の観点から一番縛りたいのは政府が戦争を起こすことです。これは前文の制定目的からもはっきりしています。それは、1人ひとりの人権を最も蹂躙じゅうりんするものが戦争だと考えているからです。「個人の尊重」を定めた13条の思想からも9条が導かれていると思います。
 山室 憲法9条があったことで、日本は戦後68年間、1人の外国人も殺さず、1人の戦死者も出さなかった。これは立派な日本の伝統です。この伝統を生かす方法を考えないといけない。ASEAN(東南アジア諸国連合)が加盟国を中心に東南アジア友好協力条約(TAC)を締結して、域内での戦争を回避しようとしているように、日本は東北アジアを非核地帯化する努力が求められています。
 小笠原 日本は日米軍事同盟(安保条約)に固執して、今度は集団的自衛権行使に踏み切ろうとしていますが、世界的に見れば軍事同盟は解体、機能停止に陥っているのが実態です。
 山室 ANZUS(アンザス条約)やSEATO(東南アジア条約機構)、ワルシャワ条約機構などは廃止されました。紛争の平和的解決のために地域の安全条約をつくることの方が重要になっているにもかかわらず、日本は逆行しています。
 小笠原 翻って、今の憲法がどうやって平和を構築しようとしているのか、安全保障を図ろうとしているのかを考えると、その鍵は前文が掲げる平和的生存権にあると思います。「全世界の国民がひとしく恐怖と欠乏から免れ」るために国際貢献することを求めています。

「諸国民」と連帯し人間の安全保障

 山室 ええ、日本国憲法は「国家の安全保障」ではなく「人間の安全保障」という概念を先駆的に取り入れました。ちなみに、「恐怖と欠乏から免れ」という言葉は、「タイムマシン」や「透明人間」などのSF小説で知られるイギリスの作家H・G・ウェルズが1940年に提唱したものです。いわば、人類的課題を日本は引き受けているのです。
 小笠原 戦争や内戦の原因となる飢餓や貧困をなくすために日本にできることがあるはずです。NGOのレベルでも、医師の中村哲さんを先頭に、アフガニスタンで医療支援や水源確保のための井戸を掘る活動を続けているペシャワール会などがあります。こうした貢献を通じて、世界から信頼される国をつくる、攻められない国をつくることが基本ではないでしょうか。
 山室 その通りです。前文に「平和を愛する諸国民の公正と信義に信頼して」とありますが、大事なのは「諸国家」ではなく「諸国民」という点です。どんな国であっても平和を愛する人々は必ずいるはずで、こうした人々と連帯して戦争を防ぐ努力をしようと憲法は言っています。戦力放棄や交戦権否認は危機に対して無策なのではなく、むしろこうした平和構築の方策を問い掛けているのです。一国平和主義ではありません。
 小笠原 国際関係が複雑になっても、人と人とのつながりをどうつくるかが鍵ですね。
 山室 実は、「憲法9条の思想水脈」はハングル語訳されていて、今度中国語訳も出版される予定です。歴史認識の問題をめぐって、政府間がまともに対話できないもとで、日本人にも9条に結実した平和運動や非戦思想の伝統があることを知ってほしいからです。
 小笠原 なるほど。これもひとつの「人間の安全保障」ですね(笑)(「週刊しんぶん京都民報」2013年9月22日付掲載)

 やまむろ・しんいち 1951年、熊本市生まれ。東京大学法学部卒業。衆議院法制局参事、東京大学社会科学研究所助手、東北大学助教授などを経て、京都大学人文科学研究所教授。今年4月から、同所長。専門は、法政思想連鎖史。著書に、「法制官僚の時代」(木鐸社)、「思想課題としてのアジア―基軸・連鎖・投企」「日露戦争の世紀」(岩波書店)、「キメラ―満洲国の肖像」(中公新書)、「複合戦争と総力戦の断層」(人文書院)など。

 おがさわら・しんじ 1955年、長野県生まれ。立命館大学法学部卒業。91年、弁護士登録し、京都法律事務所入所。京都弁護士会副会長歴任(2005年)。市民運動として、定住外国人の地方参政権をめざす市民の会事務局長、守ろう憲法と平和きょうとネット代表幹事、STOP!イラク派兵・京都共同代表を歴任。08年から「憲法9条京都の会」事務局長。

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