京焼窯初の発掘調査が京都市東山区の五条坂で行われています。9日、調査を進める木立雅朗立命館大教授が現地説明会を開きました。
 窯は「道仙化学製陶所」が使っていたもの。明治から1962年までビーカーや乳鉢、計量カップ、紡績用磁器などの化学陶器が製造されました。その後、使われることはなく崩壊が進み、土で埋まっていきました。
 土地を所有する陶磁器卸会社が土地の活用方法を京都建築専門学校の佐野春仁教務主任と相談しているなかで、調査を木立教授に依頼することになったもの。調査の結果、部屋が6室ある登り窯だったことが判明し、「京都 道仙」の銘文が入った製品が出土しました。
 「道仙化学製陶所」を経営していた入江道仙氏の孫・入江孝さん(75)は「幼い頃、祖父に手を引かれ、何度も窯に入った。発掘されて感無量です。窯跡が市民のために活かされることを望みます」と語っています。
 木立教授は「京焼窯が初めて発掘出来たことで、技術面の基礎研究が出来ることになった。化学陶器が京都の近代化やセラミックの開発にどういう役割を果たしたのかもわかっていくだろう」と話していました。