尹東柱が学友と記念写真を撮影した天ケ瀬つり橋で記念写真を撮る参加者一行(5月20日、宇治市)

 同志社大学留学中の1943年、朝鮮語で詩を書いたことが朝鮮の独立運動に関わったなどとされて治安維持法違反で逮捕・起訴され、27歳で獄死した詩人・尹東柱(ユン・ドンジュ)が、逮捕直前に学友とハイキングを楽しんだ宇治川をたどる企画が5月20日、同市内で行われました。25人の参加者たちが交流しながら歴史を学びました。主催は詩人尹東柱記念碑建立委員会。

 ハイキングは尹東柱ら一行が降り立った京阪宇治駅からスタート。戦前、尹東柱の先輩となる京都の朝鮮留学生を支援するとともに、尹東柱を死に追い込んだ治安維持法に反対して右翼の凶刃に倒れた労農党代議士・山本宣治の墓や、山宣の生家「花やしき」、併設する「山宣資料館」を訪問。

 資料館では、山宣の遺品の一つ、在京都朝鮮留学生学友会機関誌「学潮」創刊号(26年発行)に、尹東柱の朝鮮語の恩師・崔鉉培(チェ・ヒョンベ)の文とともに山宣が朝鮮留学生を励まして書いた文と山宣が主幹する「性と科学」の広告が掲載されており、山宣が物心両面から朝鮮留学生を支えていたことが紹介されました。

 一行は、尹東柱が学友と記念写真を撮影した天ケ瀬つり橋や、「詩人尹東柱 記憶と和解の碑」を訪ねました。碑前では、参加者全員で碑に刻まれている尹東柱の詩「新しい道」を朝鮮語と日本語訳で朗読したほか、建立委員会の安斎育郎代表と日本キリスト教団宇治教会の早瀬和人牧師があいさつ。安斎代表は、「記憶と和解の碑」と名付けた経緯などを説明し、「尹東柱の記念館をつくりたい」などと語りました。

 初めて参加した女性(66)は、「平和が脅かされる、危険な情勢になっている今、大変な時代を生きた尹東柱や山宣といった先人たちの平和への思いを垣間見ることができて良かった」と語りました。

「記憶と和解の碑」前であいさつする安斎氏