嵐圭史さん

 小説家・故瀬戸内寂聴さん(1922─2021)の生誕100年を記念し、今年俳優生活70年となる嵐圭史さん(82)が、瀬戸内さんの小説『秘花』を原作にした「世阿弥」を11月18、19の両日、呉竹文化センター(京都市伏見区)で上演します。嵐さんに瀬戸内さんとの思い出、原作の魅力などについて聞きました。

 ─上演のきっかけは

 原作は2007年に出版されたものです。そのころ私は『天平の甍』の鑑真和上役で公演をしていました。東京の国立劇場の千秋楽に瀬戸内先生が観に来られて、終演後、楽屋にいらっしゃった。

「好きなようにおやりなさい」

 帰り際に『秘花』の話になり、「佐渡に流された、年取った世阿弥は色っぽいのよ。あなたにぴったり、ぜひおやんなさいな」とおっしゃったんです。

 なかなか上演出来ませんでした。前進座を辞めて身軽になり、「ぜひやろう」と一昨年、許可を得るために瀬戸内先生のもとを訪ねようと電話をしたら、すぐに先生が電話口に出られ、「あなたの好きなようにおやりなさい」と了解してくれました。その後、先生は体調を悪くされ、その電話が先生との最後の会話となってしまいました。

 ─原作の魅力は

 原作は、虐げられた身分だった大和猿楽一座の観阿弥の息子で美少年だった世阿弥が、12歳のときに東山・今熊野での猿楽能で3代将軍・足利義満に見初められ、権力に庇護(ひご)されて高みに上り詰めながらも、6代将軍・義教(よしのり)の時代に72歳の身で佐渡に流され、佐渡で出会った女性・沙江との愛の世界が描かれています。

 当時の社会では男色が一つの風俗としておおっぴらに受け入れられ、子どもの世阿弥が、将軍・義満や歌人で公家の二条良基(よしもと)の寵愛(ちょうあい)を得て一夜を共にするといった、民報読者がびっくりするような場面もあります。

 しかし、世阿弥の絶頂期も長く続きませんでした。義満は近江猿楽の犬王に心変わりし、北山第への後小松天皇行幸の際の天覧能には、声がかかりませんでした。

 弟の子・元重を養子とした後に実子・元雅、元能が生まれますが、元雅に肩入れしたため元重は離反し、世阿弥、元雅の観世座は凋落(ちょうらく)。さらに元雅は客死。そして、世阿弥は、将軍・義教の時代に島流しになります。

原作の『秘花』。瀬戸内寂聴さん85歳の時の作品

 作家・辻井喬(たかし)さんが、「この時代に原型が整ったと言ってもいい日本文化の特徴を、侘(わ)び、さび、幽玄にのみ収斂(しゅうれん)させることは単純に過ぎるのではないか。烈(はげ)しい人間の生き方、欲、エロスを包含したものとして捉え直してこそ、世阿弥の芸も全体像を示すことができるのだと僕は思う。この『秘花』は、(略)見事にそうした役割をも果たした」と評価しています。

 ─2007年、瀬戸内さん85歳の誕生日に出版された作品ですね

 世阿弥は演者であるとともに、能の作品、『風姿花伝』(『花伝書』)などの芸術論なども書きました。瀬戸内さんは作家という面にも惹かれ、書かれたのだと思います。

 権力者によって芸術が庇護された現実とともに、権力の腐敗と庶民への横暴が一体のものであるという歴史の事実、どのような境遇でも美を追求し続ける芸術家のあり方が骨太に描かれています。

 また権力から排除された世阿弥自らも実子に肩入れして、跡取りとして迎えた養子を客観的には冷遇し、離反されることになる皮肉…、単純な善悪でとらえず、自戒も込められているところにリアリティーがあります。それは、瀬戸内さんの苦難に満ちた体験があったから書けたのでしょう。

瀬戸内先生が愛した京都で

 舞台は、佐渡に渡るまでが第1幕、渡ってからが第2幕。少年時代から老いるまでの世阿弥全てを私、佐渡の女性・沙江を文学座の富沢亜古さん、計6人で演じます。脚色は横山玲子さん、斬新な演出は西川信廣さん、能楽監修は観世銕之丞(てつのじょう)さんにお願いし、豪華な舞台になります。

 京都は瀬戸内先生が愛し、ついの住み家とされた地。どこか会場の一角から観ていただくような感じがします。是非成功させたいです。

 18日午後6時半、19日午後2時。9000円。問い合わせTEL090・6281・1347(関西公演チケット係)。