講演する岡館長

 織田信長の時代、南蛮寺が建てられた中京区姥柳町にあったものの現在は祇園祭の休み山となっている布袋山の、2025年巡行参加を目指し活動する一般社団法人祇園祭布袋山保存会(川島義明)7月3日、美術史家の岡泰正・神戸市立小磯記念美術館館長を招き、「都の南蛮寺図扇面の歴史的背景と南蛮美術」と題した特別講演会を開催。岡館長は、南蛮寺の遺物に関して新説を唱えました。

 講演会は、保存会が、ひと・まち交流館京都(京都市下京区)で2日から7日まで行った関連資料の展示に併せて開かれたもの。

 南蛮寺に関しては、同志社大学が発掘調査をし、同寺のものと思われる礎石や煙管(きせる)、硯(すずり)などが出土。発掘報告書では、硯の裏面に描かれた線画に関して、右には司教と思われる人物、左上にはボタンのついた法衣をまとい、右手に長い柄のついたろうそく消しを持った侍者と思われる人物が描かれ、キリスト教の儀式をあらわしていると推定していました。

 これに対し、岡館長は、タバコの葉を束ね、乾燥させ、刻み、喫煙する—南蛮人の喫煙の風習を描いたものだと主張。根拠として左上の人物の所持品がろうそく消しなら、先端碗状の口部分が下向きであるはずが、上向きだと指摘。銅製の煙管が出土し、当時、種子島からたばこが伝来している点なども補足しました。

 なお、資料展示では、布袋山の懸想(けそう)品と伝わるつづれ織り(レプリカ)などが出品され、6日には、祇園祭が応仁の乱による中断を経て1500(明応9)年に復興された際、前祭(さきまつり)の山として巡行したと記す「八坂神社文書」を翻刻した『八坂神社記録』も披露されました。

南蛮寺線刻硯 提供:同志社大学歴史資料館
布袋山の巡行を記した『八幡神社記録』