今年は日本が日中戦争や太平洋戦争を含めた15年戦争に突入する発端となった柳条湖事件(1931年9月18日)から90年にあたることから、日中友好協会京都府連は10月30日、京都市西京区の嵐山中ノ島公園「日中不再戦」の碑前で、集会を開催。「憲法改悪を許さず、二度と戦争をしない」との決意を新たにしました。

 宇野木洋・府連会長が碑建立の運動は、盧溝橋事件(1937年7月7日)30周年にあたる1967年に計画され(翌年完成)、蜷川虎三知事、富井清京都市長をはじめ京都の宗教人、大学人ら29人が呼びかけ人となり、ベトナム戦争が激しさを増すなか、「アジア人とアジア人は戦わない」を合言葉に広がったことを紹介。

 本山修験宗総本山聖護院門跡門主の宮城泰年氏が講和。「戦争を起こした責任は政治家や軍部とともに、教育を受け中国や朝鮮の人々に対しての差別意識や敵がい心を持ってしまった私たちにもある」と自戒。「私たち、そして子どもや孫、その子どもたち一人ひとりの心の中に『戦をしてはならない』ということを植え付けていかなければ、戦の火種を残してしまい、『不再戦』の碑の意味はない」と強調しました。

 参加者からは、▽「満州」からの引き揚げ体験▽日本に対する戦後補償を求め裁判する権利を中国政府が侵害している状況の批判と戦後補償を求めて運動を続ける決意▽碑の建立時、中国「文化大革命」礼賛者による攻撃を想定し、碑完成から序幕式まで日中友好協会会員が徹夜で碑を守った体験などが語られました。

 斎藤敏康・府連理事長が、与謝野晶子・鉄幹夫妻のエピソードをあげながら、1931年を境に大正時代に続いた憲政擁護運動や政党政治が終わりを告げ、軍国主義に覆われていった歴史を振り返り、「今、1931年に似た状況がある。この状況を脱するためには明日の選挙(衆院選)で、中国に対する軍事侵略をしたり、日本の平和憲法を否定して軍備を拡大しようとする人たちを国会に送らないよう、私たちは試されている」と呼びかけました。

 穀田恵二衆院議員(当日は前衆院議員)の、衆院選挙初挑戦以来、「わだつみの悲劇を繰り返すまい」との政治信条でたたかい、今選挙でも「安心して暮らせる、希望の持てる新しい日本社会の実現」のために奮闘する決意をつづったメッセージが紹介されました。

【追記】記事の一部を訂正しました(2021年11月11日午後5時05分)