解体中の家屋と旧藤林道寿屋敷の井戸(奥)=中村武生氏撮影(下も)
薬園の隣地にNPO法人京都歴史地理同考会が建立した顕彰碑

 江戸時代に、現在の北区鷹峯の地に創設された徳川幕府直営の薬園の遺構で、本紙連載「京都の江戸時代をあるく」でも紹介した井戸が、新たな宅地開発によって消滅の危機に直面していることが、このほど分かりました。

 薬園は「鷹ヶ峰薬園」で、徳川3代将軍・家光の時代、寛永17(1640)年、創設。幕府の医官、藤林道寿が歴代管理を任され、明治維新まで維持されました。

 井戸は、藤林道寿の屋敷にあったもの。今年5月、土地が京都の不動産会社に転売され、今月3日、「鷹峯地域の歴史と文化を考える会」代表の森田清氏と、京都女子大学・大谷大学非常勤講師の中村武生氏によって家屋の解体が確認されました。両氏が不動産会社の担当者に尋ねたところ、分譲住宅が建設予定で、井戸を保存する予定はないことが伝えられました。両氏は翌日、井戸の保全に関する要望書を不動産会社の代表取締役社長宛に提出しました。

 「鷹ヶ峰薬園」は、一時期、朝鮮人参など105種を栽培。京都所司代を通じて、天皇や上皇、法皇にも献上され、徳川将軍の健康維持のためにも使用されました。明治の新政府によって廃止され、藤林道寿は罷免。「藤林町(ふじばやしちょう)」の地名が残こされました。

東京・小石川薬園は国史跡に

 江戸の幕府直営の小石川薬園は、東京大学理学部の付属植物園として維持され、国の史跡および名勝に指定されていますが、「鷹ヶ峰薬園」は文化財に指定されませんでした。

 しかし、その重要性は、関係者の間で知られ、戦前の『日本薬園史の研究』(上田三平著)で、戦後も『京都の医学史』(京都医師会編)、『京の医史跡探訪』(杉立義一著)などでも紹介されました。

 2010 年に、NP0法人京都歴史地理同考会が隣地に顕彰の石碑と解説板を建立。澤田瞳子氏の小説『ふたり女房―京都鷹ヶ峰御薬園日録』では舞台になっています。