食事も提供する欧米スタイルのライブハウスとして1981年、京都・北山で産声をあげ、木屋町に移転し、ジャズ、ロックなどの大物ミュージシャンから学生サークルまで、多様なステージを提供しているライブハウス「ライブスポットラグ」(京都市中京区)。新型コロナウイルス感染防止のために営業を自粛するなか、出演してきたミュージシャンが激励のコメントを寄せています。

舞台のイロハ学ぶ

シンガー・ソングライター 佐々木詩菜

 20歳からステージに立たせていただいています。右も左もわからない私に、ステージ上での対応や心構え、CDの制作などイロハのイから教えてもらい、育てていただきました。

 経済的に厳しかった私を店のホールでのアルバイトとして使ってもらい、ほかのミュージシャンのみなさんのステージを傍らから見せていただきました。本当に勉強になりました。現在は、実家の福井を拠点に活動をしています。

春の創立39周年の記念に、試行的に実家での演奏を店とつないでテレビの歌番組のようにYouTubeで配信させてもらいました。一日も早く、元通りになり、ステージに立ちたいと思います。

自信ついた

サックス・プレーヤー Juny-a

学生時代には同志社大学のジャズのビックバンド「ザ・サード・ハード・オーケストラ」に所属し、毎年、新歓コンパの2次会、明治大学とのセッション、年末の単独ライブなどでお世話になりました。

 大学卒業後、いったんメーカーに就職したものの、現在は、ジャズプレーヤーとして歩んでいます。大学時代に、ラグのステージで演奏したことで自信がついたと思います。

 今、関東でも世話になってきたライブハウスが閉店したとの話も聞きます。家賃を払い続けるのはとても大変だと思いますが、何とか営業を続けてもらい、恩返しできたらと思っています。

今につながる財産もらう

サックス・プレーヤー 古谷光広

 高校生のとき、ラグで演奏する父(古谷充)に呼ばれて店に行き、ライブ後、共演メンバーから「吹けるやろ」と突然、セッションさせてもらったのが初舞台でした。

 レベルにとてもついていけない。店にいくのが怖かったです。店の人は、プレーヤーの状況をよく見てくれていて、だめ出しをしてくれました。厳しいだけでなく、様々な音楽を教えてくれました。夏には夜からスタッフ、ミュージシャン総出で琵琶湖に泳ぎに行く際に、同行させてもらい、顔を覚えてもらいました。今につながる財産をもらいました。

 今は、私もまったく仕事がなく、子守りと、補助金の申請で身動きがとれず“泥船”に乗っている状況です。しかし、ラグにはあれだけ世話になったわけですから、長期的に考えて、自分らしいやり方で、何らかの役に立ちたいと思っています。