4月8日投票(3月22日告示)の京都府知事選挙に向けて、2月21日に京都市左京区のみやこめっせで行われた、「いのちに寄りそい憲法いかす2・21府民大集会」(同実行委員会主催)での、福山和人(かずひと)さんの訴え(全文)を紹介します。

 

 4月8日投票で行われる京都府知事選挙に出馬を表明いたしました、弁護士の福山です。このたび私は、先程あいさつされた石田(紀郎・市民環境研究所代表)さん、西郷(南海子・大学院生)さんをはじめたくさんの市民グループの方からご推挙いただいて、出馬を決めたわけですが、出馬の会見は私の個人の主催で行いました。今、さまざまな個人や団体に支援をお願いして回っています。今日は、「民主府政の会」のみなさんに訴える機会をつくっていただいたことに心から感謝申し上げます。私の話を聞いて、「よっしゃ応援したろ」と思っていただけるのであれば、ぜひとも、ご支援をお願いしたい。どうぞよろしくお願いいたします。

 さて、みなさん、「福山って、いったいどんな奴やねん」と思っておられるかた、ようけいてはると思うんで、最初に、簡単に自己紹介させていただきます。とりあえず、顔はこんな感じです(会場笑)。男前ではありませんが、まあまあ愛嬌のある方ではないかと思ってます(会場まばらな拍手)

 1961年に伏見区で生まれて、すぐに宇治市に移り、大久保で育ちました。幼少の頃から祖母に育てられた、おばあちゃん子でした。明治の女であった祖母はなかなか厳しい人でして、けんかで負けて帰ると、「もういっぺん行ってきなさい」と(会場笑)言われました。小さい頃は、おなかが減って減ってひもじくてですね、おやつは朝のみそ汁のだしじゃことか、そこらで生えてる野草とか食べてました。近所のお寿司屋さんのごみ箱を漁っているのを見つかったときは、祖母に正座させられて「武士は食わねど高楊枝です」と説教されたり(会場笑)、こんな幼少期でした。

 小学校1年の時におやじにグローブとボールを初めて買うてもろたんですけど、それがうれしくてですね、毎日毎日飽きもせず1人で壁当てをしてました。軟球がツルツルになるまで投げました。それが、近所の少年野球の監督さんの目に止まりまして、野球チームに入れてもらいました。そこから、野球に夢中になったんですね。高校では、甲子園目指して野球漬けの日々を過ごしました。ピッチャーしてたんですけど、けっこう球は速かったんです。高校1年の時、球速は140㌔超えてました(会場どよめき)。すごいでしょ。でもノーコンやったんで、コントロールつけなあかんというので毎日500球投げ込みをしてました。そしたらあっという間に肩を壊して、野球への道は断念をしました。もし肩を壊さなければ、今、ここにこうやって立っていることはなかったと思います。

 大学は立命館の法学部に進みました。卒業してから、司法試験の受験勉強を始めた頃に、祖母が認知症になりました。受け入れてくれる施設がなくてですね、2年間ほど自宅で世話をしました。きつかったです。司法試験に合格してからは、ずっと京都で弁護士をしてきました。その間、労働事件や詐欺事件、消費者被害などさまざまな事件を扱ってきました。そのたんびに思ったことは、「社会の仕組みがもうちょっときちんとしてたら、もっと未然に救われる人が多いのにな」という思いでした。それが、今回の立候補につながったと思います。

 ここで、少し前のことですが、ある事件のことについてお話をさせてください。京都市内で、54歳の無職の男性が、86歳の認知症の母親の首を絞めて殺害するという事件が起こりました。男性はもともと西陣織の職人であった父親のもとに弟子入りしました。呉服産業の不況で転職をします。やがて、父親が亡くなり、この頃から母親に認知症の症状が出始めます。事件の10カ月前に、母親は症状が悪化し、昼夜逆転、近所を徘徊するようになったんですね。それでも、男性は介護を熱心に続けました。事件の5カ月前、工場勤めをしながらの介護に限界を感じた男性は、仕事を辞め、自宅で介護をしながらできる仕事を探しました。でも、見つかりませんでした。事件の2カ月前には、失業保険もストップしました。男性は生活保護の申請のために、福祉事務所に3回相談しています。でも、「あなたはまだ働けるから」と断られました。生活に困った男性は、自分の食事を2日に1度にして、母親の食事を優先しました。事件の前日、この日は家賃の支払い期限でしたが、手持ちの現金はわずか7000円でした。男性は、親族に相談することなく、自分たちに残された道は死ぬことしかない、と思いました。自宅アパートの掃除をして、親族と大家さん宛ての遺書をテーブルに置いて、母親と2人で家を出ました。2人が向かったのは、三条京阪近くの繁華街です。そこには、男性がまだ子どものころ、親子3人で食事をしたことのある店がありました。ここで、親子は最後の観光を楽しみました。夜になって、2人はもう戻ることのできないアパートの近くにある河川敷にやってきました。2月初旬の寒い時期です。何時間かが過ぎました。もうお金もない、もう生きられへんで、これで終わりやで、犯行直前に男性は泣きながら、目を覚ましたばかりの母親に語り掛けました。「そうか、もうあかんか。一緒やで、お前といっしょやで。お前はわしの子や。わしがやったる」。母親のその言葉に男性は意を決して母親の首を絞めました。その後、男性は包丁で自分の首やお腹などを刺して、自殺をはかりましたが、死にきれずに倒れているところを通行人に発見されました。

 京都地裁の裁判では、地域の住民や関係者など126人もの嘆願書が提出されました。この事件は、私の尊敬する、ある刑事裁判官が担当しました。男性には、懲役2年6月、執行猶予3年の判決が言い渡されました。裁判官は、介護による心中事件が全国で相次いでいることに触れて、「日本の生活保護行政のあり方が問われているといっても過言ではない」、と異例のコメントを付けて、行政に対して痛烈な苦言を呈しました。みなさん、この事件は2006年に起こった事件です。あれから12年経ちました。状況は変わったでしょうか。生活保護の捕捉率は20%台だったのが、10%台にまで落ち込んでいます。ちなみに、ドイツでは64%、フランスでは91%です。給付も切り下げられました。

 先程の男性は2014年8月に琵琶湖大橋から身を投げて自殺しました。所持金は数百円。一緒に焼いてほしいとメモを付けて、母親と自分のへその緒を身につけていたそうです。彼と母親の命をつなぐことはできませんでした。これは政治の責任ではないでしょうか。

 子どもの貧困はOECD諸国の中で最悪。京都のワーキングプア率は全国でワースト3位。非正規雇用率もワースト3位。夫婦とも非正規労働者というのも最近では珍しくありません。府内の労働者の給与は1997年の月38万円から、2015年には月29万円へと9万円も下がりました。こんな状況やから、京都府の出生率は全国ワースト4位です。既に京都は人口減少のスパイラルに入っています。ある意味当然ですよね。就職の時に数百万円の奨学金の借金を抱えた若者、返済のためにブラックな働き方でも、やめることができんと心身を病むケースが増えています。高齢の方も、老人医療制度、いわゆる「マル老」の改悪と介護保険料の値上げで生活が圧迫されています。府内の大企業は、空前の業績を上げる一方で、中小企業は毎年毎年700件も倒産・休廃業に追い込まれています。商店は、ピークの5万店から2万2000店まで落ちこみました。農家は戸別所得補償が打ち切られるということで、まるで荒野に打ち捨てられたような状況になっています。

 みなさん、こうした状況のもとで、府民に対して、京都府が何かしてくれた、という実感がありますでしょうか。ほとんど実感なんかない、っていうのが大多数の府民の正直な感想ではないでしょうか。しかし、みなさん、京都府にできることはたくさんあります。いま、京都府がやらなあかんことは、国や市町村と連携して、すべての府民の暮らしを全力で守ることではないですか(大きな拍手)

 私は府民のみなさんから、「京都府のおかげで助かった」と実感してもらえる府政を実現したい。今回、「つなぐ京都」をキーワードにして「夢」「なりわい」「未来」「ひと」をつなぐ政策を提案しています。まずひとつめ「夢をつなぐ」です。私は、京都から貧困をなくして、すべての人が夢をつなぐことができるように、「ストップ貧困京都宣言」を行い、貧困についての実態調査を行います。そして、子どもの医療費助成制度の拡充、中学校給食の実施と計画的な無償化、高校までの学費の無償化、給付型の奨学金の創設を行いたいと思っています(拍手)。また、公契約条例の制定で時給1500円を目指します。高齢者に対しては、府の老人医療助成制度を拡充いたします。

 2つめに、「なりわいをつなぐ」です。京都経済を支えているのは、99%の中小企業のみなさんです。私は頑張る中小企業のみなさんを応援するために「中小企業振興基本条例」を制定したいと思います。みなさん、この条例がない都道府県、全国でいくつあるか知っていますか。京都を入れて4つだけです(えー、会場どよめき)。びっくりでしょ。こんな遅れた状況はただちに改めて、中小企業に対する本格的な支援を強めたいと思います。また、地域に密着した公共事業、これは地元の業者さん優先でばんばんやろうと思います。大型開発はちょっと別ですけど。住宅リフォーム助成制度や商店街に対する本格的な支援制で経済の底上げをはかります。それによって、京都府も税収増になって、それをまた新たな政策提起に振り向ける、好循環をつくりあげていきたいと思います。

 3つめに、「未来へつなぐ」ということです。京都を未来へつないでいくうえで、最大の脅威はお隣の福井の原発ですよね。福島原発事故で、全村避難となった飯舘村。福島第一原発から40㌔の距離にありました。みなさん、左京区の花背小学校は大飯原発から何㌔か知ってますか。38㌔です。ひとたび、重大事故が起これば、地域自体が崩壊してしまいます。大飯原発の差し止め裁判に関わってきたものとして、原発の再稼働に反対し、廃炉を政府と関電に求めます(拍手)

 4つめに、「ひとをつなぐ」です。知事選では、いつでもいつでも、「国とのパイプ」がキーワードになってきました。私自身は、それを否定するつもりはありません。だけど、みなさん、パイプというのであれば、府知事にとって最も必要なのは「府民とのパイプ」ではないですか(拍手)。そこが詰まっていては、まったく意味がないんじゃないでしょうか。私が政策を実行するためには、ひととひとをつなぐこと。すなわち、府の職員さん、住民のみなさんの組織、企業、団体や研究機関、京都府民が持つ知恵と経験をつないで、英知を結集することが不可欠だと思います。私は、この場をお借りして、府庁の職員のみなさんに風通しの良い府政運営をお約束します。どういうリーダーと一緒に仕事をしたいのか、よく考えていただければと思います。

 今回の知事選で、継承しつつ変化させる、ということを申し上げています。私は山田府政の全部が駄目とは思っていません。何党が言おうが、「良いものは良い、駄目なものは駄目」そういう当たり前の政治を実現したいと思います。ただ、みなさん、私が今回提案している、貧困克服のための実態調査をはじめ抜本的な対策、中小企業地域振興条例、公契約条例の制定、脱原発などの政策をこれまで京都府は拒み続けてきました。したがって、それらをやろうとすれば、府政を変えるしかないのではないでしょうか。

 みなさん、ちょっとここでクイズですけど(会場笑)。1485年って何の年か知ってはりますか。1485年は、「人の世に春よ来いと国一揆」、そうですね、山城国一揆です。応仁の乱の後の荒廃した時代に、山城地方の国衆が自治組織をつくって、平等院に集まって自ら地域を治めたのが日本の地方自治の発祥というふうに言われています。憲法では、三権分立と言われていますが、私は地方自治を含めた「四権」が大事やと思います。立法、行政、司法の長は私たち国民自らが選ぶことはできません。けど、地方自治体の長は住民が選ぶことができますし、自分で立候補することもできます。みなさんも出ていただいていいんです。地方自治を生み出した、この京都らしく、国のお仕着せではない、府民の、府民による、府民のための自治を作り上げようではありませんか(会場拍手)

 今回の立候補表明に至るまでには、多くのみなさんから期待の声をいただきました。さまざまな分野で市民運動を続けてこられたみなさんや「民主府政の会」に参加しておられる各団体のみなさん、それだけでなく、これまで政治に関わりがなかった市民の方を含めて、たくさんの後押しをいただきました。私たちのつながりは確実に広がっています。今こそ、みんなが心を一つにして「つなぐ京都」をつくっていこうやないですか。立候補表明以来、すべての政党のみなさんに支援をお願いして参りました。まだ、態度表明されていない政党はもとより、既に相手候補の支援を決められたみなさんにも、「今からでも遅くはないです(会場笑)、私はいつでもウェルカムです、どうぞ、こちらに来ませんか」、私はそう呼びかけたいと思います(会場大きな拍手)

 私は、2015年度に京都弁護士会の副会長を務めました。あの時、憲法によって縛られているはずの政府が、憲法違反の安保法制を強行しました。まことに許しがたい暴挙と言わなければなりません。しかし、あの時、円山音楽堂にあふれる4500人の方々と共有した時間は、主権者である私たちには力があるんや、ということを確信させてくれました。その思いは、あの場にいた、すべての人の共有財産となりました。その力をいまこそ発揮しようではありませんか(会場拍手)。一部のマスコミは、私たちが「出遅れている」と書きました。でも、私はそう思いません。そんなにはようから張り切っても息切れするだけですしね(会場笑)。新潟の米山知事は告示の6日前に立候補表明して、勝ってますよね。1カ月半もあれば、十分ですわ(会場笑)

 人が、人に何かを伝えようとして、考えて、悩んで、苦しみ抜いて、紡ぎ出した言葉には力があると思います。私の言葉とみなさんの言葉がよりあわされて、人々の気持ちを捉えた時、私たちは勝利の方程式を手にすることができます。私たち、一人ひとりはちっぽけな存在ですけど、私はそういう言葉の力を信じます。これから、1カ月半の短期決戦です。必ず勝ちます。そういう予感がします(会場どよめき、大きな拍手)。私が、弁護団の事務局長を務める建設アスベスト訴訟で、勝訴判決を勝ち取った時、実は勝つと予感してました。私の予感は当たるんです(笑)。これから私は全力疾走で走り抜けます。どうぞみなさん、私と一緒に走り抜けてください(会場大きな拍手)。ただし、ただしですよ、まなじりをあげるのではなく(会場笑)、口角をあげて、楽しく頑張りましょう(拍手)。わくわくする選挙をやりましょう。そして、必ず勝って、勝利の美酒を酌み交わしましょう。みなさんの大きなお力添えを心からお願い申し上げて、私の訴えとさせていただきます。ありがとうございました(会場大きな拍手)

【追記】2月24日午後0時35分に一部修正しました。