学習会「時代を駆け抜けた山宣と多喜二」 京田辺市の「田辺九条の会」は17日午後、京田辺市中部住民センターで学習会「時代を駆け抜けた山宣と多喜二」を開きました。講師は、立命館宇治中学・高校教諭で南山城の社会運動史に詳しい本庄豊さんです。
 山宣こと山本宣治は、生物学者であり戦前第1回普通選挙において南山城地方を基盤に京都2区から労農党の代議士になった人です。多喜二とは、あの『蟹工船』の作者で、戦前のプロレタリア作家で日本共産党員の小林多喜二です。2人が活躍したのは今から80年ほど前の、関東大震災後の昭和初期のころでしたが、山宣と多喜二はともに国家権力によって虐殺されました。山宣は1929年3月5日に39歳で、多喜二は4年後の1933年2月20日で29歳でした。今年は多喜二没後80年にあたります。
 学習会は、「みんなで歌おう青春の歌」(歌唱指導は宇治の合唱団「みなみ風」のみなさん)の合唱で始まりました。「田辺九条の会」の内野正光代表が、「安倍首相は憲法9条の改悪をねらい、そのためにまず憲法96条を改悪しょうとしています。現行憲法を改悪するには全国会議員の3分の2以上の多数の賛成がなければ国会として発議できません。それを全国会議員の半数以上でも発議できるようにしようとしています。そうさせないように田辺九条の会はみなさんといっしょに頑張ります」と憲法改悪阻止の決意を語りました。
 講演は、山宣の母・多年たねの、亡き息子に語りかけることば(本庄豊さんの創作)を本庄かおるさんが朗読し始まりました。「あんたさんの人生は39年間。うちはあんたさんよりも57年間も長生きし…。治安維持法という法律がどれだけ仰山の人らを監獄に送り込んでしもたか、戦争に反対する声を掻き消してしもたかを見てきたんえ。幾百万の犠牲の上に平和な日本が築かれたとき、あんたさんにまずは報告せなあかんと思たんや」。ギターとハーモニカが「故郷ふるさと」のメロディーを静かに奏でました。
 また、山宣当選のために活躍した青年活動家を紹介。三山木村、草内村、多賀村、青谷村など南山城で、1928年の第1回普通選挙の時にすでに社会進歩のために活動した青年がいたことを述べました。参加者からは「京田辺ってすごい地域なんですね。びっくりです」「私も今からでも遅くない、学習していこう」 などの感想が寄せられました。(大山隆平)