厳しい目で舞台を見つめ役者も芸の修練を

能楽全体で伝統継承を

 今年1年、関西の伝統演劇の世界にもさまざまな事があった。しかし芸能界を揺るがすような大きな事件は見られなかった。まずは平穏な1年であったと言える。
 まず能界では、観世流のトップの交替─九郎右衛門が幽雪となり、清司が新・九郎右衛門を襲名したこともすでに事前からの路線をスムーズに進んだだけのことであり、さしたる変革は見られない。
 いつも言うことだが、日本能楽協会の会員は1500人いる。内容は親睦会的なものという自己反省もあって、その中からプロを目指して励む者を選んで「日本能楽会」が別に結成された。しかしその数も年々増え、今回の増員で481人となった。五流(観世、宝生、金剛、喜多、金春)のシテ方とワキ、囃子―笛、小鼓、大鼓、太鼓、狂言の三役を含めての数であるが、それでも松竹が抱えている歌舞伎役者よりも多い。だから上部100人ほどの人が本気でやる気になってくれれば、能は安泰である。
 しかし、近年はジャーナリズムを利用する巧みな能楽師が自分の演ずる催しを宣伝し、花々しく繁栄して見える。一昔前のように能楽全体の伝統の継承といった〈運動体〉として動きの少ないことが気になる。

気になる演目の減少

 狂言界も同様である。千之丞が、ここまでくるのに50年かかったと洩らしていたように、今では狂言は能に依存せず、独立した演劇としての地位は確保した。催しは隆盛である。ただ、忠三郎の死去によって、子息・良暢の今後の多少の危惧はあるが、何とか乗り切ってくれるであろう。
 楽観を許さないのが、文楽である。人間国宝級のメンバーの高齢化により、全体としての弱体化がいよいよ目立つようになった。技芸員がもっと〈芸〉に謙虚になって励んでくれることと、国立劇場側も、思いきった世代の交替を打ち出し、危機の克服に本気となるべきだと思う。
 歌舞伎は東京の歌舞伎座改築もあって、関西での公演回数も増え、一見盛況の観にあるが、いささか安易に流れている傾向がある。忙しさにかまけて、全体に基本的な芸の修練が不足している。先輩たちがもっときびしくしごくべきだし、若手は目先の人気におぼれないことである。特に上方歌舞伎の演目の減少は少なからず気になる。上方役者の責任感の欠如とも言える。

“甘い”観客と役者

 芸能は常に、同時代の観客を相手にしなければならない。観客の人気を集めること、劇場に来てもらうことが必要である。しかし、現在の観客は「甘い」。その甘さに役者も甘えている。もっときびしい目で舞台を見詰め、批判してほしい。近年の舞台は、何をやっても拍手喝采、すぐにスタンディング・オベーションでは、いい舞台は生まれない。現代の観客を悪くしたのは、一時期〈伝統芸能〉を守らねばならないという現象の悪しき名残である。もうその時代は過ぎた。そろそろジャーナリズムもきびしい態度で舞台に接するべきだろう。(演劇評論家・権藤芳一)
「週刊しんぶん京都民報」2011年12月25日付掲載)