東京電力福島第1原子力発電所の事故を受け、日本共産党は、「政府は、原発からの撤退を決断し、原発をゼロにする期限を決めたプログラムの策定を」と提唱、国民的運動を呼びかけています。原発問題、エネルギー政策についての府民各層の主張・提言をシリーズで紹介します。

国の援助が原発の安全を削る

 福島第一原発の事故以来「想定外」という言葉を何度も耳にします。しかし大型原発に含まれる広島原爆1000発分という大量の死の灰が、地震などをきっかけに一部でも放出される事態は、当然に起こりうるものでした。
 日本では、原発黎明期の1960年に当時の科学技術庁・原子力産業会議が、熱出力50万キロワット(電気出力約16万キロワット)の原子炉の事故被害を試算しています。しかし、その結果は、最悪の条件下で被害総額は3.7兆円(当時の国家予算の約2倍)と「びっくりする」ようなもので、ただちに非公開とされました。
 以来、国内では原発事故被害の試算は行われず、逆に電力会社や政府の広報により「止める・冷やす・閉じ込める」、「万全の地震対策」などの「安全神話」が地元自治体や一般国民に対し流布されてきました。
 そんな中、私は2003年に、近畿圏で最大級の出力を持つ関西電力大飯原発3号機(電気出力118万キロワット、福井県大飯町)で、チェルノブイリ並みの過酷事故が起こったと想定して試算を行いました。京都大学原子炉実験所の故瀬尾健氏が考案した原発事故の計算モデル(SEOコード)を用いて死者・障害者の数を計算し、さらに避難の費用や居住禁止・農業禁止に伴う所得損失などを加えて、これらの被害を金銭評価したものです。
 結果は、最悪の場合、急性障害や晩発性のガンで最大40万人が亡くなり、およそ200キロ圏内が放射能汚染で居住禁止となる、というもので、被害額は平均で約103.7兆円、最大約457.8兆円に上りました(いずれも事故後50年間の積算値です)。
 これについては、原発推進派専門家らのホームページや雑誌で、主に確率論を根拠に「杞憂(きゆう)といえるほど発生確率の低い事故想定」「荒唐無稽」「常識はずれ」などとする批判がなされていたことを後で知りました。しかし、学会で発表したこの試算が新聞報道された直後、「住民の不安をあおる行為であり、誠に遺憾」「確率論的安全評価(PSA)により、…炉心損傷頻度は、1千万年に1度」などとした抗議の質問状を、当時勤務していた大学宛に送ってきたのは、専門家や関西電力ではなく、住民の安全を守るべき地元自治体でした。
 確率論は安全性の証明にはなりません。それは、万一の事故の際にも電力会社が倒産しないように作られた原子力損害賠償法(原賠法)を見れば明らかです。61年に制定された原賠法は、確かに電力会社に原発事故の賠償責任を負わせています。しかし、賠償に備えた民間の原子力損害賠償責任保険は保険金が1200億円しかなく、しかも地震の場合は保険金が下りません(さすがに保険会社は原発震災の危険性をよく理解していたことが分かります)。代わって政府が原発地震保険のようなものを用意していますが、これもわずか1200億円で、電力会社は数兆円規模の被害を賠償しきれません。しかし原賠法は、その際には国が必要な援助を行うと定めています(第16条)。その上、不可抗力ともいうべき「異常に巨大な天災地変」が原因の場合は、電力会社は損害賠償の責任がなくなります(第3条)。
 現政権は今のところ東京電力を免責していませんが、自民党政権ならあっさりと免責したかもしれません。電力会社は、こうした「援助」や「免責」をあてに、安全対策のコストを削ってきたはずです。次の大事故を防ぐためにも、今すぐ原賠法を改正し、無制限の賠償責任を明らかにすべきです。そうすれば、電力会社自らが最悪の事態を想定し、原発の廃止や、コストのかかる徹底的な安全対策を含め、慎重な経営判断を行うでしょう。
 事故のリスクや被害の大きさを考えれば、原発のコストは相当に高く、経済的価値を生んでいるのかさえ疑われます。脱原発に向かう第一歩として、すでに閣議決定されている「再生可能エネルギーの固定価格買い取り法案」を早急に成立させ、太陽光発電など再生可能エネルギーの比率を高めていくことが必要です。(「週刊しんぶん京都民報」2011年6月5日付掲載)
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