高瀬川舟まつり 第20回「高瀬川舟まつり」が23日、中京区木屋町二条の高瀬川一之舟入りで行われ、大勢の観光客が見学しました。
 主催は、地元の銅駝高瀬川保勝会。同会長の松本泰治さんは、まつりを始めたきっかけについて、「もともとは高瀬川開設360年記念ということと、京都市で2番目に開校した銅駝小学校の開校記念日の22日にちなんでなにかできないかと、ここ一之舟入りで開催しました」とのべました。また、木屋町という名前は、高瀬舟で木材や薪炭屋などの商店が並んでいたことから付いたと説明しました。見学にきた年輩の女性は「お茶も美味しかったし、昔の舟にきれいな舞妓さんが乗ってはる。なんか懐かしいですね」と話しながら見入っていました。
 まつりのイベントは、お茶席、友禅型染実演、クイズラリー、舞妓さん乗船撮影会や島津創業記念資料館無料開放などが催されて一日中賑わっていました。
 日本共産党の穀田恵二衆院議員、原田完府議も参加しました。(仲野良典)

 高瀬川は、1611年に角倉了以が江戸幕府の許可のもとに高瀬川を3年間かけて開削。京都は内陸にあるため、大量の物資を輸送する交通手段が大きな課題でした。水源は鴨川。二条木屋町がスタート地点で、南下して七条通、九条通をくぐり、伏見区の陶化橋付近で鴨川を横断して竹田から伏見港まで全長約11.1キロメートル、川幅約8メートルの運河です。浅瀬のため、舟底が平らな運搬船(写真)で、京へは米、酒、醤油、あらめ、ミカン、こんにゃく玉、木炭、半紙、瀬戸物、木綿その他生活必需品などが運ばれ、下りの高瀬舟には長持ち、臼、屏風、箪笥などの家具類や合羽、油粕、たたみ、瓦、牛蒡、大根、茶などさまざまなものが積まれていきました。江戸時代の風景は森鴎外の『高瀬舟』にその風景が映し出されています。そして水路にそって一から九までの船入りが設置されました。