日本共産党京都府委員会が8月31日、シルクホール(京都市下京区)で開いた総選挙の報告集会で、京都1区・比例近畿ブロック候補者の穀田恵二氏は以下の決意を述べました。


 近畿のみなさんと、そしてお支えいただいた京都全府下の支持者、後援会員、党員のみなさんに心から感謝を申し上げます。ありがとうございました。
 全国ただ一つの必勝区として、みなさんの、全党の、全国の期待に応えられず、私の力不足で敗北したことをまことに申し訳ないと思っています。しかし、私は必ず次を目指して立ち上がることをここであらためてみなさんにお誓いをしておきたいと思います。
 私はなぜ、この元気を取り戻したかと言いますと、さっそく今日、井坂市議や原田府議ともども、商店街をまわらしていただきました。多くの方々が「よかったね」と、本当に私の比例での当選を祝福していただきました。とくに、商店主のみなさんだけと違って、歩いている方々が口々に私を激励して、「いよいよですね」。ここに実は、多くの方々が共産党の議席への期待、そして自分たちが自分たちで勝ちとった勝利だという共感があったことを、あらためて私は知ったからであります。私もそこに自らの謙虚さが足りなかったといことを反省し、こういう期待に応えて、がんばりぬきたいと思います。
 今日、西陣織工業組合の幹部の方々を訪ねて、あらためて階級闘争の厳しさを知りました。私が行ったある幹部のところには、すでに投票日前、告示前でしたが、「夏祭りの終わりに自民党も来た。民主党も来た。あんたがたのおかげやった」と言われたことであります。また、山崎副理事長が、私のチラシや広報、選挙はがき、全部に名前を出していただきました。そういう中で共産党とこくた恵二支援の旗を降ろすことなく、私どもと一緒にたたかっていただいた西陣織工業組合をはじめとした多くの方々に、そういう思いの中で私ども共産党の支持の旗をかかげ続けたことに対して、あらためて感謝を表明したいのであります。
 同時に、私はこの意義深さについてあらためて確信をしています。私どもは、かつて蜷川民主府政の時代がございました。その折には西陣織工業組合は組合として、必ず一人の議員を擁していました。蜷川与党でありながら、そういう自らの政治制度を持っていることを理由に、一度として共産党の候補を推薦したことはありませんでした。したがって、40年、50年というこのたたかいの中で、初めて産業界として私ども共産党を支持していただいという、画期的な出来事として私はうれしく思っているのであります。
 そして、その背景には、さきほど吉田さんからタクシーの話ありました。たんに私どもが訴えているだけではありません。タクシー労働者における我々の党建設、個人タクシーにおける我々の影響力、日常活動における宣伝活動、党の力の強さが根底にあることを忘れてはならないと思っています。そこに、そういう草の根の長いたたかいと、運動があったからこそ、われわれが今日の事態と出会うことができた、その貴重な体験と同時に、貴重な体験の根底にある党の力強さに敬意を表したい。
 最後に私は、建設的野党としてのたたかいについて、一言申し上げたい。私は今日の未明、1時から2時半まで読売テレビに出演しました。そしたらコメンテータに自民党の鴻池さんが出ていましたが、肝心の討論の相手は6人の民主党議員だけでありました。私はこのたたかう前から戦意を失っている、自民党・公明党。まさにここにこそ、野党としての建設的なたたかいの場面に登っているのは共産党だけだということ見事に証明したのではないでしょうか。
 その意味で私は今度の選挙戦での論戦をリードしたこと、さらには6人の全員の候補者が力となって、全府下で京都1区の私の必勝のためにたたかっていただいことに感謝をしつつ、そういう5人の方々のたたかいの草の根の運動を、しっかり私の背中に背負いながら、今後たたかっていきたい。
 まず問われるのは新しい国会のたたかいでありましょう。そして来年の府知事選のたたかいでありましょう。そして参院選の連続するたたかいであり、選挙の年にふさわしい、我々が意気高々に前へ進む、それが多くの方々の「がんばってや」「よかったね」という声にこたえる意志ではないでしょうか。そういう方がの期待にこたえて、党がさらに大きく前進する、そのために6人の候補者、また一丸となって先頭に立って、たたかうことあらためお誓いし、みなさんと一緒にスクラムを組んでたたかいぬくことを表明し、私の決意とさせていただきます。