展示を解説する松本牧師

 ナチスによるホロコーストの犠牲者・アンネ・フランク(1929~45)の没後80年を記念して、京田辺市の聖イエス会福音教会で12日(日)まで、「アンネ・フランク展」(同実行委員会主催)が開かれています。同教会の元牧師が館長を勤めるアンネ・フランク資料館(兵庫県西宮市)所蔵のアンネの遺品や、同教会の別の元牧師が転任先の広島県福山市で設立したホロコースト記念館の監修・制作による約20枚のパネルなどが展示されています。

 アンネ・フランクはドイツの裕福なユダヤ人の家庭に生まれました。ナチスの台頭後、家族(両親・姉)とともにオランダ・アムステルダムへ亡命。オランダの占領後、隠れ家で過ごしましたが、強制収容所に送られ、命を落としました。唯一、父オットー・フランクが生還しました。オランダの隠れ家でつづった日記は、フランク一家が強制収容所に送られる際、支援者が保管し、生還したオットー・フランクに手渡されました。2009年、ユネスコの世界の記憶(記憶遺産)に登録されました。

アンネ・フランクが愛用していた木製の切手箱(アンネ・フランク資料館所蔵、同館ホームページより)

 展示中のアンネの遺品は、支援者が日記とともに保管し、オットー・フランクに手渡した木製の切手入れ。隠れ家にいたアンネが、支援者の協力得て親戚に手紙を送る際に使っていたもの。このほかの展示物は、アウシュビッツで使用されていた毒ガス管、ナチスがユダヤ人と分かるように身に着けるよう強制した記章、フランク家の隠れ家の模型や本棚のレプリカ、オットー・フランクが戦後使っていたタイピンやラジオなど。

 パネルでは、フランク家の歴史や家族の紹介、オランダへの亡命やその後の運命、ユダヤ人が受けた差別や強制収容所での迫害などについて説明しています。

 聖イエス会福音教会の松本完牧師(53)は、「アンネや彼女と同じように殺された子どもたち、今の戦争で命を落としている子どもたちに思いをはせてもらいたい。また、今、かつてと同じように、外国人を排斥する動きがあり、『戦争前夜』ともいえる状況になっていることに気付いてもらうきっかけになれば」と語っています。

 聖イエス会福音教会=京田辺市大住関屋11-6。月曜から土曜午前10時~17時半。最終日(12日)は午前9時~11時。問い合わせ℡0774・62・3214。

聖イエス会とオットー・フランク

 聖イエス会は、綾部市出身のキリスト者、大槻武二氏が1946年設立。大槻氏は、翌年、広島県福山市に聖イエス会修道学院・御幸教会を設立。50年に、京都市右京区に本部を移し、嵯峨野教会を設立。聖歌隊「しののめ合唱団」を設立しました。

 1971年に同合唱団が海外公演を行った際、公演先のレストランで偶然、オットー・フランク氏と出会い、交流が始まりました。団員の中には、大槻武二氏の次女・大槻道子氏、のちに福音教会の牧師となる大塚信氏がいました。

 文通を始めた大槻道子氏のもとに、オットーが育てていたアンネのバラ10株が送られ、大槻氏の親戚の山室隆一・建治父子のもとで増やされ、全国に広がりました。アンネ生誕50年を記念して80年、兵庫県西宮市に聖イエス会アンネのバラ教会とアンネ・フランク資料館が設立され、庭にはアンネ像を囲むようにアンネのバラが植えられています。現館長は、元福音教会にいた坂本誠治牧師。

 また、オットーと出会った大塚信氏は78年、福音教会に赴任し、90年、御幸教会に転任。アンネ没後50年の95年、同地でホロコースト記念館を開設しました。