京都における自由民権運動研究の第一人者、原田久美子さんが16日、ぼうこうがんのため79歳で死去しました。原田さんは京都民報紙上で、「物語 京都の自由民権運動」を1969年11月から70年12月末まで53回にわたって執筆しました。親交の深かった京大名誉教授の松尾尊兊さんから寄せられた追悼文を紹介します。
原田久美子さんの思い出     
松尾尊兊(京大名誉教授)
 原田さんの名前は戦争中から知っていた。2歳上の姉の女学校同級生というより、日中戦争初頭に戦死された原田愛中佐の遺児としてである。佐官クラスの戦死者は田舎町の鳥取では稀であった。
敗戦の翌年あたりに原田さんは県立鳥取図書館に勤められたのではなかろうか。家が近所で小学生の時から出入りしたこの図書館には、学生時代の帰省のたびに訪れ、原田さんと顔を合わせた。原田さんの最初の学問的仕事は、江戸中期の鳥取藩をゆるがせた元文百姓一揆の物語『因伯民乱太平記』の活字復刻版刊行(1953年)である。ときに27歳、原田久美子さんの生涯を貫く根気の良さが早くも発揮されている。私は原本と並べて崩し字を読む練習をした。
 原田さんが上洛して京都府会図書室に入られたのは、1953年春に私が京大を卒業した頃であった。同年10月、京大人文科学研究所助手に採用された直後、高熱を発して松田道雄医師の往診を仰ぐという騒ぎになったとき、鹿ケ谷の下宿の玄関脇の小部屋に、原田さんは見舞って下さった。元気になって、民科歴史部会で1918年の米騒動について話したことがある。その時の討論における態度がよくないとたしなめられた。こういう忠告をしてくれる人は原田さんの他にはなかった。
 府会図書館時代の原田さんの業績に『京都府議会歴代議員録』(1961年)がある。829人、1200ページの列伝の84%を占める戦前の部は、企画者たる原田さんの単独執筆である。京都府下をくまなく歩きまわったこの仕事の中で、原田さんの自由民権研究は始まったといってよかろう。私は堺利彦ら明治社会主義者の大パトロンたる岩崎革也の経歴を、この本で初めて知ることができた。
 原田さんの最初の学術論文は「民権運動期の地方議会―明治13年京都府における地方税追徴布達事件」(『日本史研究』38、1958年)である。このとき、私の上司たる井上清教授は、その閲読を求めた原田さんが3回も書き直されたことを高く評価し、私に洩らされた。あまり人をほめない井上師の話だけに強く印象に残っている。
 その後の原田さんの天橋義塾・沢辺正修を中心とする自由民権運動研究は、学界においてゆるぎのない地位を占めている。しかしこれを1本にまとめることに原田さんは慎重であった。学界の研究水準の現状を意識されていたからであろう。井上師の没後、著作集をつくるに際して入手困難な晩年の講演記録があり、原田さんに相談したところ、立ちどころに探し出し、「これを読んで井上さんはさすがだと思った」といって渡してくださった。原田さんは常に自由民権運動の研究状況に目を配っているなと感じさせられた。
 それはもう3年も前のことである。すでにガンに侵されてはいたが、比較的元気で、自著をまとめる意欲は失っておられなかった。逝去により中断された作業が、後進の研究者たちによって完成、刊行される日を待望する。