「日の出湯」の外観

銭湯文化を次代に

 今年10月1日に開業100周年を迎えた舞鶴市東吉原の銭湯「日の出湯」が、国の登録有形文化財に登録される見通しです。国の文化審議会がこのほど、文科大臣に答申しました。

 経営する高橋一郎さん(71)は、地域の銭湯文化の継承への気持ちを新たにしています。

 「日の出湯」のある吉原地区は、西舞鶴の伊佐津川河口に位置し、1727(享保12)年に田辺藩の命令で城下の漁民が移り住んで形成されました。細い路地に規則正しく住居が並んでおり、当時のままの街並みが残されています。

 「日の出湯」の創業は地元警察に届け出た新設許可証に、1920(大正9)年10月1日と記録が残っています。また、「日の出湯」の文書から建築は1917(大正6)年とされています。

 町内の公衆浴場として始まり、1920年に祖父、勝蔵さんが経営権を取得。現在は母親の艶(つや)さん(96)とともに経営しています。

江戸期の街並みと町家風建築が

 銭湯は住居部分と一体となった、戦前の町家風建築。浴室の屋根裏の木材は建設当時のまま残されています。2階は改装工事の労働者らが泊まっていたという床の間のある座敷となっています。

 文化審議会の答申では、こうした往時のままの町家が、江戸時代の町並みの中に残されている点が評価されました。

一郎さんによって念入りにタイルが磨かれた浴槽

 銭湯は父・肇さんが1954年に石造りからタイル張りに改修。タイルは一郎さんの手で磨かれ、今も光沢のある状態に保たれています。

 父親は、戦時中にビルマ(ミャンマー)で負傷し、軍から自決を迫られましたが、「絶対に生きてやる」と生き延び、帰国。戦後、肇さんが、タイルへの張り替えや当時の最新設備の導入などを行い、現在も続く経営の基盤を築いたと言います。

祖父から3代つないだ家業

 一郎さんが20歳の時に肇さんが亡くなり、艶さんが経営を引き継ぎました。一郎さんは舞鶴市で小学校教諭をしながら家業を手伝い、定年退職後に本格的に携わっています。

 かつて同市内には28軒の銭湯があったとされますが、現在は、「日の出湯」と「若の湯」の2軒のみ。「若の湯」は18年に文化財登録されています。

 一郎さんは、「必死の思いで生還した父が残してくれたもの。文化財登録を機に、父を通じて親交のあった同業者の思いも胸に、地域の銭湯文化を残していきたい」と力を込めます。

 100周年記念として1日より、フェイスタオルを先着200人に配布しています。一郎さんは、「来てくれたお客さんに『いい湯だった』と喜んでもらえれば」と話しています。

 土曜日定休。営業は午後4時半から8時半。問い合わせ☎0773・75・0366。