第8次支援 城陽・久御山民商は6月16日~18日第8次の支援を宮城県気仙沼本吉民商の仲間とともに気仙沼市階上の七半沢仮設住宅(54戸)で取り組みました。
 被害の大きかった気仙沼の中でも人の被害が最も大きな地域の仮設住宅です。いったん逃げた公設の避難所が津波に襲われたくさんの人が亡くなりました。
 5馬力の耕耘機、ボール盤、木工工作機械、お米、着物、礼服、下着などの衣類、今回も2トントラックに積みきれない物資30個の段ボールは宅急便で送り配布に間に合わせました。
 16日の夜、気仙沼本吉民商到着。雨の中待っていてくれた会員さんと濡れるのもいとわず物資をおろしました。25歳の青年は荷物を降ろすのを手伝いながらボール盤が見えると「あれ僕のや」と声を上げ喜んでくれました。これで仕事が出来る。待ちに待ったボール盤です。息子さんを津波にさらわれた会員さんは中型の仏壇を車に積み込み、何度も何度も頭をさげてお礼を言っておられました。
 物資をおろし、気仙沼の皆さんとしばし懇談。菅原会長は事務所も建設機械も津波に流されたのに、私たちには何度も会っているのにそんなことはおくびにも出さず、会長として民商の活動を続けて来ました。また私たちを受け入れて来てくれました。仲間とともに「復興支援金10億円」を国から引出し頑張っている中舘副会長も物資を降ろすのに参加、奥さん事務員さんが津波にさらわれ2人はまだかえってきていません。そんな民商の役員、会員、事務局のみなさんに私たちのほうが毎回「元気とやる気」をもらっています。
 今回も気仙沼の仮設住宅で焼きそば120食の炊き出し、ほっこりお茶会、仙台の映画会社「アーカイブ仙台」の協力で「男はつらいよ」の上映会、フラダンス、腹話術、など盛り沢山の取り組みでみなさんと交流できました。お米は3キロずつ全戸に配布、棚付けは事前に15戸から申し込みがあり、2人1組の棚付け班を2組編成し予約された全てに設置、仮設住宅の役員さんから、集会所の下足入れ(長靴がいれれるように)の設置の要望があり、早速設置。
 今回は、いつも物資配布やお茶会などに元気に来てくれるは女性陣ですが、男性陣をどうかして参加してほしいとの思いで、気仙沼民商と打ち合わせて、夕方からビヤガーデンのような取り組みはどうかと考えました。被災されたみなさんのことを考えると「いいのだろうか」と思いました。しかし現地の皆さんはあの「3月11日以前の生活を取り戻したい」との思いがあるとのことで、夕方から集会所の前にブルーシートを広げ民商、自治会差し入れのホルモン焼き、刺身などで生ビールを楽しみました。昼に続いてフラダンス、マジック、腹話術、ギター1本持って京都から参加の女性歌手、CHAO(チャオ)さんのギターでの生オケ、地元民商会員のフラワーユニットのお2人のすばらしい歌声、集会場にあったカラオケ機械で仮設の方々、民商婦人部の方が気持ちよく歌いました。
 最後はみんなで肩を組んで「ふるさと」を歌いだすと、涙、涙「みんな泣き出したくなるほどの辛い思いを持って暮らしておられる」と気仙沼からの手紙にありました。そんな思いをたとえひと時でも忘れてもらえたなら、そしてまた明日から頑張ろうと思っていただけたのなら取り組んでよかったと思います。「こんな日があってもいいんだな」との自治会長さんの言葉にうれしくなりました。その自治会長さんも奥さんとお母さんを津波にさらわれ奥さんはまだ見つかっていません。いつまでも待っていますと手紙に有りました。
 第9次の支援「サマースクールIN気仙沼」の準備を進めています。3月の支援の中で参加された元教員の方が、夏休みに子供たちの勉強会のようなことが出来れば、と話されたところ早速依頼があり「宇治・久世退職教員の会」に発信したところ受けて頂き、6月の支援には打ち合わせのため3人の役員さんが参加され具体化されてきました。7月31日~8月4日までの5日間2カ所の大きな仮設で勉強会、教育相談が21人の退職教員や現職先生の協力で取り組みます。子どもの教育という大切なそして重要な要請を重く受け止めようと周囲に発信、それに答えてくれる方たちがいる。こうしたことが、私たちが支援を続けて、これた大きな支えとなっています。
 さらに10月13日~16日「気仙沼復興、民商まつり」石巻支援も決まりつつあります。「被災地にとって忘れずにいてもらえることが、なによりです」との思いに周りのみなさんの力を借りながら答えてゆきたいと思います。