質量とも他を凌駕する京都のコレクション

各館学芸員の研究成果

 近年の特色ではあるが、各館自館のコレクションを活用した展覧会に、見るべきものが多かったことに、美術館人としては悦びを感じる。美術館は「場」の時間と空間が培ったアイデンティティとして「美術作品」を蒐集しているからである。
 京都国立近代美術館の「竹久夢二とともに」をはじめ、京都国立博物館の「百獣の楽園 美術にすむ動物たち」、そして細見美術館の「琳派を楽しむ」や神戸市立博物館の「若芝と鶴亭」などは、各館のコレクションを研究している学芸員の研究成果が「見る側」に語られていた。京都府文化博物館「日本画 きのう・京・あす」は他館のコレクションや作家所蔵の作品で構成されるものの、京都の日本画を顕彰する意味でよかった。
 ごく普通にコレクションを中心とした展覧会を開催して、京都ほど質量ともに他を凌駕する地はないのかもしれない。京都国立近代美術館の「竹久夢二とともに」は、神戸で活躍した版画家・川西英が集め続けた作品・資料を、2006年度より収集してきた成果である。1000余点から成り立つコレクションは、新たな美術の視点を提供することになった。従来文化発信者としての「夢二」の視点しかなかった「夢二像」が、文化受信側の「夢二像」の視点を生み出すからである。それまでの受信側の「夢二像」は、京都における秦テルオや野長瀬晩花との交友が知られていたにすぎない。
 このような享受側の一例は美術様式や美術文化のシステムの相互浸透の研究を促すと思われる。京都国立近代美術館の潤沢な購入予算と卓見した収蔵方針があって初めて、美術の新たな扉が開かれたと言えるだろう。

人・こころに触れる美術

 展覧会のテーマを競う「テーマ展」としては、手前みそになるが、京都市美術館の「フェルメールからのラブレター展」が画期的ではなかったろうか。ややもすると、海外展では「○○美術館名品展」がまかり通るなかで、海外の展覧会開催の意味を考えさせる企画であった。本展開催で17世紀オランダの人々の心や、直接表現しない寓意表現を垣間見てもらったら、企画側としては嬉しい。
 異なる文化の展覧会は、コミュニケーションの相互理解を根底とするからである。展覧会は学芸員の美術史を学習するところではない。そもそも美術や美術史は、作品に現れる「人」や「こころ」に触れることを目的とする。それを忘れて美術展は楽しめない。本展覧会は京都から宮城・東京に巡回するものとなった。その分だけ、従来のマスコミの文化事業部主導の展覧会運営では考えられない程の、借用先美術館との手続きを要したが、これも当館の財産となったと思える。
 他に大山崎山荘美術館「かんさいいすなう」、京都工藝繊維大学美術工藝資料館「ベルギー木の匠の技」、堂本印象美術館「マルチアーティスト・堂本印象」のテーマ展が面白さと刺激を与えてくれた。今後は「テーマ」をもった海外展、それ以上に京都という「磁場」をみせるコレクション活用の展覧会が増えるであろうし、そうでなければ「見る側」の展覧会にはならない。(京都市美術館学芸課長・尾﨑眞人)
「週刊しんぶん京都民報」2011年12月11日付掲載)