1954年3月に太平洋のビキニ環礁で米国が行った水爆実験で日本の漁船などが被ばくした「ビキニ事件」を考える集い(主催・核兵器のない世界をめざす京都実行委員会)が19日、京都市上京区の同志社大学で開かれ、市民ら約150人が参加しました。
 日本の反核平和運動の出発点となったビキニ事件では、第五福竜丸以外にも、同時期に付近海域で操業していた1000隻を超える漁船群と船員らが被ばくしました。集いでは、1985年から事件の掘り起こしと全容解明に取り組む高知県の元高校教師・山下正寿さんを追ったドキュメンタリー「わしも死の海におった」(2004年、南海放送制作)の上映後、山下氏(高知県太平洋核実験被災支援センター事務局長)が講演しました。
 山下氏は、被ばく40周年に高校生たちと被爆者の聞き取り調査をする中、地元漁村で「息子は長崎とビキニで被ばくした」と語る母親に出会い、第五福竜丸以外にも被災船員がいることを知ったとのべ、「調査した14漁村すべてで、『(水爆の)光を見た』『(死の)灰が降ってきた』などと語る船員がいました。40、50代の働き盛りで突然死した船員も多く、ただ事ではないと感じた」と話しました。
 全国で約2万人と推定される被災船員が放置された理由については、漁協側がマグロの風評被害を恐れたこととともに、反核運動の広がりを懸念した日米両政府が慰謝料の支払いで「政治決着」を図り、被害実態を隠ぺいしたことにあったと指摘。こうした中で、昨年入手したビキニ核実験についての米原子力委員会の機密文書によって、地球規模での放射能汚染が明らかになったとして、「歴史上最大の環境汚染であることが証明された。今後は、太平洋核実験全体の実相を究明することが必要」と強調しました。
 最後に、調査の中で被ばく証言を渋る船員の背中を押したのは高校生の真しな姿勢だったとのべ、「核廃絶の運動に多くの高校生や大学生が参加してほしい」と締めくくりました。