帰路に向かう遠征バスの前で松山商・白石監督に話を聞いた。
 「勝負には勝ち負けがあるけれども、結果があっただけのこと。今のチームには全然力がないが、良い経験をさせてもらっている」と話した。バックネット裏のおじさんが試合序盤に言っていた「平安優位」というのははずれてしまい、「因縁」が作用したせいか松山商に軍配が上がった。気になっていた、平安に勝った次の試合で必ず負ける話は「甲子園で平安とやった後は精魂が尽き果てるので、次に負けてしまうのでしょう」と答えた。伝統校同士の一戦に「商業にはぬるい雰囲気があったりするが、これは試合の勝ち負けではない。甲子園で夏にまた会えるように力をつけて、頑張りたい」と再戦を誓う。
 一方の龍谷大平安・原田監督は敗因について「気持ちの問題、一球の信念が足りない」と語気を強めた。「ゲッツーに、14個か15個のフライアウト。これではいけない。向こうは短く持ってシャープに振ってきた」と攻撃面のふがいなさも悔やんだ。しかし、商業との試合には「こんなに観客が入るとは思ってなかった。うれしい」と満足そうだった。話を聞いているときでもたくさんの人が次々と原田監督をあいさつに訪れた。多くの三年生部員らもまだ残っていた。原田監督がフリーになるのを待っていたみたいだ。数カ月前は丸刈りだった髪も少し伸びて、ラフな制服姿が何だか照れくさい。夏にユニフォームにひき締まった顔をしていた選手らが、球場横の紅葉をバックに時折おどけたりして原田監督と一緒に笑顔で記念撮影をする。原田監督自身も楽しそう。普段は見られない光景にこちらも笑みがこぼれる。
 記念撮影のカメラマンを担当しているのは、2人。1人は2歳年上の私の友人だった。試合開始前から観戦に来ていることには気づいていた。週末になると、春・夏・秋と龍谷大平安の公式戦を観戦したり、亀岡で行われる練習試合や練習などを見学したりするようになって、そのうち節目のイベントにも参加するようになったらしい。私は私で5年ほど前から西京極球場や太陽が丘球場で高校野球や大学、社会人野球などを観戦してきた。彼と知り合ってからは平安以外の試合でも一緒に観戦する機会が多かった。試合が終われば流れで喫茶店に行き、試合の話をすることもある。実は原田監督を取材できたのも彼のおかげだった。
 もう1人カメラマンをしている男性に見覚えがある。友人に話を聞くと、「今日知り合いになった」と言う。何の試合の時に観に来ているのかわからなかったのだが、それはどうやら龍谷大平安の試合だったようだ。
 最後に原田監督にあいさつしていた26歳の平安OBらに話を聞いた。「7年前の平安と松山商の夏の準々決勝を観ていない」と正直に言うと「観てないんですか」と笑われた。「ビデオ観てください!!」。「松山との練習試合は何年かに1回ですかね」と言いながら、今日の試合内容について尋ねると、「プライドのぶつかりあい」「向こうが勝った原因はそこ!!」と大学時代も関西で硬式野球を続けていただけあって鼻息が荒かった。(つづく)