4回表松山商の攻撃は、先頭打者が右中間二塁打で出塁。続く打者はレフトフライに倒れたが、一死二塁からセカンドへの強襲ヒットで一、三塁と願ってもないチャンスを迎える。
 「7年前の準々決勝は第4試合で夜の8時半に試合が終わって、翌日の準決勝は午前11時からだった。そして、滋賀の近江なんかに負けてしまった。こんな感じで松商は平安に勝って次に負けるジンクスがある」。
 この一死一、三塁のケースでおじさんは昔を想起しながら「こういう場面では絶対に点を取っていた。スクイズや犠牲フライ、内野ゴロの間にとか」と言って松山商の同点、または逆転を信じる。しかし、続く打者が空振りの三振で二死となったところで、私はおじさんの言う「平安優勢」の言葉が急に頭によみがえり、なんだか平安がこのピンチを切り抜けられるかのように思えてきた。
 しかし、それほど予感も甘くない。松山商は平安には負けないというジンクスの方が強かった。7番打者の打球が右中間に飛んで抜けた。それが2点タイムリーツーベースヒットになり、松山商が2点を取って1-2と平安を逆転。それにもかかわらず、おじさんは小細工なしで点を取ったことに納得せず違和感があるらしかった。慎重な試合運びで確実に点を取る野球の方こそが面白いのだということなのかもしれない。当時の試合は外野の守備が良かったと言うが、7年前のことを言っているのだろう。
 しかし、どうにも我慢がならないのは、やはり「県立に寮はありえない」という公立勢の危機そのもので、それがなんとかならないのかという思いだった。それから、近畿の私立強豪校に近づくブローカー問題や特待生問題の改悪について少しだけ話し合った。これらの問題は、ここ数年の高校野球における重要な社会問題でもあるため、互いにうかつなことは言えなかった。誰のための高校野球なのかをもっと話し合うべき問題だろう。
 ところで、この試合をどうやって知ったかを尋ねてみた。すると、「インターネットで、1カ月前から楽しみにしていた。ただ週末の天気予報が悪く、土曜日に雨が降るかどうか心配していた。こういう記念の試合は中止になればもう二度と観られないから」とこの試合に本当に来たかったという想いが聞けて感動した。
 前日の朝に京都新聞で試合があることを知った私とはかなりの開きがある。神戸に住んでおられるので、京都の情報は入りにくいだろう。新聞の切り抜きを見せると「京都ではこんなに取り上げられているのか」と少し驚き、嬉しそうに微笑みながら試合中であるにもかかわらず、視線を下げてくれた。(つづく)