出産や妊婦をとりまく問題について考える「おさんしんぽ」(15日、日本共産党京都府委員会主催)で、パネリストとして報告した開業助産師の高橋律子さんの発言(大要)を紹介します。
 奈良で出張専門の開業助産師をしています。主に家庭分娩についてお話ししたいと思います。この中には私がお産をお手伝いしたお母さんがお二人ほどお見えになってますし、家庭分娩なんてどんな感じ? とお思いかもしれません。まだまだ数は少ないです。
 10年前に0・1%で、今0・2%になったばかりで、非常にマイナーな存在ではあるんですが、私は96年から家庭分娩を始めてきました。
 その人たちのお手伝いをするなかで、その人たちが何をお産で大事にしたいのか、お産の価値とか人生におけるお産の意味とかを教えてもらいましたので、今日は家庭分娩している立場から、こういうもう一つの生み方があるということを知っていただき、写真なども用意しましたので、お産問題を考える方向性のひとつ、ヒントになればいいなと思います。
 家庭分娩は生む力、育てる力を取り戻すものだと思っています。
 まず、お産の歴史を紹介したいと思います。
 室町時代以前の出産というものは、近所の方や家族の方がお手伝いされて、産婆さんがシャーマンのような存在で、あの世からこの世へつながるというような、文化人類学的にはそういう存在でした。
 明治30年に日本全国で統一された産婆規則ができ、統一された産婆さんが生まれ、ドイツ医学をとりいれていきました。
 第二次大戦後、GHQが入り、自分たちのように医者と看護婦でお産を見るのを導入しようとしました。アメリカには近代産婆のシステムがなく医者と看護婦だけがみていたんです。
 60歳以上の方はほとんどが家でお生まれになっているんです。そのころは産婆さんは6万数千人いたというんですけれども、数が減っていきました。今いる2万人あまりの助産師はほとんどが医療機関で働いていまして、問題なのは助産師がみんなの目に見えない存在になって、影がうすいということなんですね。
 少し前までは、「助産師という仕事があったんですね」と、言われたこともあります。