『京都モデルの行き着く先は…』 民主・松井孝治参院議員(参院京都選挙区予定候補)
 「京都モデル」で「京都から政治を変える」とさけぶ京都の民主党。 実際は、「変える」どころか、自民党と「格差」 拡大の政治を競い合い、憲法改悪や消費税増税など国の進路にかかわる重大問題について、自民党と同じ流れに合流。非常に危険な役割を果しています。
「格差是正」どころか「痛み」押しつけ
 「このままでは生きてゆけません」 「また増税なんてとんでもない」―国民の生活苦、 「消えた年金」 問題など政治不審がうずまく中、 改憲を争点に掲げる安倍首相に対し、 民主党は、生活問題とりわけ「格差問題」を参議院選挙の争点にすると表明しています。
 しかし、この10年間、「貧困と格差」 を広げる根源となる法改悪のほとんどに、民主党は、自民・公明両党とともに賛成してきました。
 民主党の松井孝治参院議員(47)=参院京都選挙区予定候補=は、こうした「規制緩和」「格差拡大」政治を主導し、中心で支えてきた人物です。
 昨年、出版された『官邸主導~小泉純一郎の革命』(日本経済新聞出版社)で、松井氏はこう評価されています。「橋本(元首相の)行革を最初に構想し、諮問会議の制度設計にも初期段階で深く関与した中心人物が…松井孝治その人だった。松井は…橋本政権当時、 自ら志願して行革会議の事務局に出向していた経歴をもつ」。
 この橋本 「行革会議」 時代から、 松井氏の弱者切り捨ての主張はハッキリしています。 松井氏が執筆を担当した行革会議の 「最終報告書・第1章」(97年12月)では、「国民の…行政への依存体質、(中略)行政が国民生活の様々な分野に過剰に介入していなかったか根本的反省が必要」と強調。戦後、国民が権利としてたたかい取り、不十分ながら存在した生存権保障のための福祉施策を、「過剰」「行政への依存(甘え)」と敵視してきました。
 これが後の橋本政権から小泉政権にいたる 「痛み」押しつけ政治、「お上依存、 大きな政府…から小さな政府に」「その過程で痛みや軋轢(あつれき)が生じるが、苦しみを乗り越えなければならない」とする政治に引き継がれ、国民へのみぞうの 「痛み」 の押しつけ、市場原理による競争・格差拡大の社会をもたらしました。
民主党が賛成した主な法改悪
◆「労働基準法改正」…労働者使い捨てを合法化
 ○派遣労働を拡大(99年)
 ○裁量労働制を拡大(98年、 03年)
 ○有期雇用制を拡大(03年)
◆「介護保険法改正」(05年)…「介護難 民」を生み出す
◆「母子寡婦福祉法等改正」(02年)… 母子家庭への児童扶養手当を半減
◆「国保法改正」(97年)…国民健康保 険証の取り上げを義務化
財界代弁の姿勢に自民党もエール
 こうした自民党流の「格差拡大」政治を主導した松井氏は、01年、一転して民主党から参院選に出馬。今では、前原誠司前代表(衆院京都2区選出)とともに民主党のブレーンの1人です。
 その前原氏は、 代表に選出された直後の05年9月30日、衆院予算委員会で、こう表明しました。「(小泉政権に対し)いい意味での 『改革競争』をしたい」。
 この表明に、 自民党はエールの大合唱となりました。 当時、小泉首相は 「前原代表は前から憲法改正論者だった。 自民党と協力できる」(12月9日)、 武部幹事長は「部分的な大連立があっていい」(12月9日)、中川政調会長は「共同行動をとってもいいのではないか」 (12月18日) と手放しで前原執行部を評価。 民主党は 「もう1つの自民党」 へと加速します。
 同時に、 翌年、日本経団連の機関誌 「経済トレンド」で前原氏は、企業献金を「企業の社会活動の一環」(06年1月号)と述べ、カネを目当てに財界の顔色をうかがう傾向を強めました。
 実際、この時期、民主党が矢継ぎ早に打ち出した政策は、財界・大企業の要求に沿ったものばかりです。「政治を変える」どころか、法人税引き下げの検討、消費税の目的税化 (という名の消費税増税)、社会保障費の抑制…。 混合診療の解禁や市場化テスト法案への賛成など規制緩和…。教育基本法改定、 憲法改定など、民主党はいっそう「財界いいなり」 で自民党と悪政を競い合うこととなります。
「村上ファンド」に給与肩代わり 決起集会でも反省の言葉なし
 5月28日に京都市内で開催された松井孝治後援会の「総決起集会」。 松井氏は、 「昨年、 私の長年の友人の村上世彰さんの問題でご心配をおかけした」 と言うものの、 村上ファンドによる給与肩代わりへの反省の言葉は一切ありませんでした。
 現在も、松井氏のホームページには、村上世彰氏の写真が、「『村上ファンド』で話題をさらった、私の同級生で大親友の村上世彰さんが前原候補の応援に左京区に」とのコメントつきで臆面(おくめん)もなく掲示されています。
「有事」=戦争体制づくりの石破―前原ラインの直系
 自民党と「改憲」を競い合うという点でも、非常に危険な役割を果しているのが、 前原氏や松井氏ら京都の民主党です。
 もともと、 前原氏を筆頭に、京都の民主党は改憲・核武装、「国旗・国歌」 の強制など、 超タカ派の主張を繰り返してきました。以下はその一例です。
 「集団的自衛権の行使など憲法解釈をタブー視せず議論すべき」(前原氏の後援会報「EVER」96年1月1日号)
 「日の丸・君が代は『国旗・国歌』」「法制化するなら教育現場での義務づけをなぜ明示しないか」(前原氏、「京都」99年7月5日)
 「相手の基地をたたくことは憲法上認められている」(前原氏、03年3月27日、衆院・安全保障委員会)
 「日米同盟が解消される事態になったときは(核武装も)考える必要がある」(前原氏、 「毎日」03年4月3日付)。
 また、 一昨年5月、武力攻撃事態対処法などの憲法違反の「戦争法」=「有事」 関連法を強行した石破元防衛庁長官が、同志社大学で「国防」と「改憲」についての持論を展開した際、松井氏はこの講演会の告知のためのメールマガジンを発信、学生の参加を呼びかけました。「役人時代から個人的に親しい石破前防衛庁長官…も出席される(中略) 若い方々と党派にとらわれない勉強会を今後とも続けていきたい」(05年4月23日発行のメルマガ)としました。
 この講演会で、石破氏は、「いざという時に備える仕組み作りが戦争抑止力になる」と 「有事」 法制を自慢し、「修正は前原誠司さんがしてくれた」などど、民主党に感謝を表明。「自衛軍」の保持や海外での活動など憲法 「改正」 について具体的に言及しました。
 もともと松井氏は、「やはり9条についても手を加える」「現実に自衛隊が存在しているのに、 それをどのようにコントロールするのか」「海外派遣の基準は最高法規である憲法に明確に規定すべき」(05年4月23日発行のメルマガ) と主張してきましたが、その「改憲」の方向が「海外で戦争をする国づくり」に向いていることは明らかです。
アーミテージ氏から「改憲」迫られ
 「戦争体制づくり」、憲法改悪で超タカ派的主張を繰り返す前原氏は、自民、民主の国防族議員や軍需産業などが集まる日米安全保障戦略会議のパネルディスカッションで、 「憲法を改正し9条に自衛権を明記して、集団的自衛権の問題もブレークスルー(突破)しなければいけない」(03年11月20日)と強調しています。
 一方、 松井氏は、 04年7月、 アーミテージ氏が米国務省で自民・中川国対委員長にたいし、「憲法9条は日米同盟関係の妨げの一つになっている」と述べ、日米同盟強化へ憲法9条改悪を迫ったとき、 民主党から同席した一人です。
公明党にもの言えず「敵は共産党」
 参議院選挙では 「自民党との対決」ポーズをとっても、府政をはじめ各自治体で「オール与党」 の一員として自民・公明両党とも手を組む民主党。その要が、住民そっちのけの「反共主義」です。
 5月28日の松井氏の後援会総決起集会では、各弁士が口々に「政権交代」を叫ぶ一方で、 最後に演説にたった福山哲郎参院議員は、「京都の選挙では、先祖返りして共産党が伸びるようなことがあったらいかん」と強調しました。
 これまでも、京都の民主党幹部は、「民主党の躍進こそ共産党の火を一つずつ消していく手段」(福山参院議員・「城南新報」03年3月20日付)、「あの暗黒の共産府政に戻さない。 民主党も中央と地方は別だ」(松井氏、 02年・綾部市で)、「共産党府政に逆戻りさせる訳にいかない」(前原氏、 02年・連合京都の決起集会で)などの発言を繰り返してきました。
 また、「政権交代」というなら、政権の一角を担っている公明党への批判があって当然ですが、 選挙区で票をまわしてほしいという本音からか、公明党にものを言えないのも民主党の特徴です。
 01年の参院選で、 松井陣営が「『公明党の一部が支援してくれる可能性がある』(党幹部) との期待が出ており、公明党への働きかけを強め」(「読売」 01年7月17日付) たのは記憶に新しいところです。
「自民党とどこが違うのか、答えられない」 民主党演説会で質問
 5月20日、京都市左京区内で、岡田克也元代表を迎えて開かれた民主党演説会 (左)。 松井氏や前原前代表も訴えたあと、支持者から質問が出ました。
  「国民投票法やイラク派遣延長法など…にあまりにも無抵抗すぎないか」「共産党なんかは小勢力だがこういう問題では頑張っている」「自民党と民主党はどこが違うのか、 とよく聞かれるが答えにくい」
 参加者からは拍手が起こり、岡田元代表は答えに窮してタジタジでした。