晴天に恵まれた15日、京都3大祭の一つ、葵祭が都大路を平安絵巻につつみました。葵祭(賀茂祭)は北祭、みあれなどとも呼ばれ、1500年ほど前、凶作に見舞われ多くの餓死者や疫病者をだしたため、上賀茂、下鴨両神社が五穀豊穣を祈った祭事が起源といわれています。平安時代になって盛大に例祭として行われるようになりました。
 総勢約510名の護衛武官や勅使代、白丁(はくちょう)などの文官や女官などと牛、馬、牛車など平安時代の雅やかな衣装や飾りの風俗絵巻を繰り広げました。
 河原町丸太町交差点で鑑賞していた九州から来た女性らは、「やっぱり京都はいいですね、こんな優雅な祭がたくさんあるんだから」と話しながら祭に見入っていました。(仲野良典)