伝えられるところによると寛治7年(1093)ころ、内裏の女官たちが菖蒲の根の長短を競う遊びで、賀茂社の菖蒲の根が長く勝ちを得たので、そのお礼参りとして競馬を奉納したのが起こりという。西側の埒(らち、馬場の柵)寄りが見物によい。赤馬と黒馬で競い、赤が勝てば今年は豊作、黒が勝てば不作といわれている。(山田喜彦)