日本初のノーベル賞受賞者故湯川秀樹博士の夫人で、平和運動に尽力した湯川スミ(ゆかわ・すみ、本名・澄子= すみこ)さんが14日午後2時すぎ、胃がんのため京都市左京区下鴨泉川町の自宅で死去しました。96歳。大阪市出身。通夜は16日午後6時から、葬儀・告別式は17日正午から京都市東山区の公益社中央ブライトホールで。喪主は孫の透(とおる)氏。
 1932年、湯川博士と結婚。夫妻は第2次世界大戦直後から平和運動に取り組み、核兵器廃絶などを求める「世界連邦運動」などを開始。世界連邦建設同盟会長、世界、日本の両世界連邦運動名誉会長、世界連邦全国婦人協議会会長、世界連邦湯川懇話会代表などを歴任しました。ダーム・コマンデール勲章、世界平和大賞など受賞多数。
 また、原水爆禁止世界大会議長団の一員として尽力。「九条の会」の賛同者として、04年12月8日に京都の女性16人のアピールを発表、「国際会議のある毎に『日本は平和憲法を持っています』と話しますと、『自分の国にもお手本として持つように、国に帰ったら努力します』と、言って下さいます。日本がぐらぐらしては困ります。今こそ世界中が平和でありますよう声を大きくひろげましよう」とのメッセージを寄せました。
 京都民報にもたびたび登場。03年5月25日付では、有事3法案反対の談話を寄せ、「『21世紀は、平和の世紀』と願って運動してきましたが、テロ事件以降、戦争、有事法制と続く中で、もっともっと平和の世論を広げることが重要だと感じます。平和を実現するのは世論の力、その世論をつくるために言いつづけることが大事です。有事法制反対の声をたくさんにしなくてはね」と訴えました。