脱線古事記

〈30〉頓馬な神さん

 崇神天皇の条に三輪山伝説がおす。有名な話やけど御存じ無いお方はんのために、あら筋を申しまひょか。
頓馬な神さんイラスト・中村洋子

 活玉依毘売(イクタマヨリビメ)ちゅう美人が居たんどすな。又、大変な美男子が居たんどすな。その美人の所へ美男子が夜半にやって来て、忽ち相愛の仲になって、毎夜美男子が通う事になります。すると程無う美人は「妊身」します。
 それを美人の父母が怪しむのどすな。「相手は誰や」。答えます「えらい美男子で毎晩来るけど名や氏素姓は知らん」。
 そこで父母が一計を案じます。「床の周りに赤土を播け。次に綣(へそ=おだまき)の麻糸の端を針に通して、彼に気付かれんように彼の着物の裾にその針を刺して帰せ」と。
 そのとおりにしたら、翌朝、糸は鍵穴から外へ出ていた。その糸を辿って行ったら三輪神社で終った。さては美男子は三輪の神の息子だったのか。
 その時、美人の所で綣に残ってた麻糸は綣に三巻き分、つまり三勾(ミワ)。それから神社の所在をミワと言う。
 『古事記』てほんまに楽しい小説どすな。そう思わはらしまへんか。女の許へ忍んで行く神さんも人間臭いけど、付けられた針と糸をそのまゝ引きずって帰る頓馬な神さん、こんな神さん大好きどす。
「身」「酒」の説明 ところで今は妊娠と書くところを『古事記』では妊身と書いてます。「身」は古うは(1)のように書いて、お腹の大きい姿(側面側)の写生に、そのお腹の真中に涌発の指事符「・」を加えてます。「・」は此処ではやがて生れ出る赤ちゃんを示してまっさかい、この字一字で妊娠を表してます。
 今は多分大部分の日本人が「身」を躯体の意味でしか読まへんと思うけど、『古事記』の書かれた時には原義で読んでたんどすな。おもしろい事実どすな。
 次に「綣」。これも皆さん読めへんのと違いますか。近江の中山道沿いに今も綣ちゅう地名が遺ってます。その地名は「へそ」。
 この字の音は「カン」。訓は纏わる。「へそ」は国訓どす。恐らく漢字が日本へ伝わった初期に当時の横町の御隠居が「糸と巻やさかい糸巻きや」と早とちりをしたんやおへんか。「へそ」とは糸巻きの事です。
 この三輪山伝説は能としても演じられますが、能の表題も「三輪」どす。けど神社の名は「大神神社」どす。又「みわ」ちゅう日本語は「酒瓶」の意やていわれます。酒屋の軒に「新酒が出来たぞー」ちゅう表示に杉玉を下げるのは、大神神社の神木が杉やさかいて言われます。
 どうやら三輪は後世の当て字臭おすな。神社も三輪山も、なにやら酒臭い。中国でも前述の「福」のように、酒と神さんは縁が深おす。酢にならんと、ちゃんと美酒になるのに神さんの力が要りますにゃろな。
 ところで「酒」は古う(2)のように書きました。部品数二。(3)は醸造用の尖底器。(4)は移動の指事符で新酒の香り。ほんの僅か例外的に(5)の形に書かれてる字の系統に現在の「酒」がおす。ボクは酒は新酒の香りがよろし。サンズイヘンの酒は水臭うて嫌いどす。

2010年8月30日 12:41 (コメント:1)

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