脱線古事記

〈6〉夢ものがたり

金鵄と神武天皇イラスト・中村洋子

 学問は、確かなもん、証明出来るもんを緻密に積み重ねて真実に迫るもんやと思います。其処(そこ)で大事なんは、解らんもんは解らんとする事どす。「……やと思う」ちゅうのは科学やおへん。
 ヤマタイコク論争の九州説も畿内説も「……やと思う」の積み重ねと違いますのかいな。もし誤りやて解ったら潔う振り出しへ戻るのも学問やと思いますけどな。
 「ほっこり」。これは京言葉どす。軽い疲れちゅう意味どす。「大掃除でほっこりしたわ」「大分歩いてほっこりしたし、この辺で休みまひょか」のように使います。今も使います。それを京言葉をよう知らん人がリラックスの意味やと取り違えて、その取り違えが横行してます。けしからんこっちゃと思わはらしまへんか。
 「ほっこり」の誤用の流行ちゅう不遜は、知りもせんもんを知ったかぶりした罪どす。解らんもんは解らんとする学問的良心。これが怪しいのがヤマタイコク論争やおへんかて、ボクは私見を申しました。
 もし卑弥呼(ひみこ)ちゅう女王の居た国を特定したいのなら、その唯一の資料である「魏志」そのものをよう読む事どす。その記事の伊都国までの話は信用できても、それ以後は謂わば荒唐無稽。それを是が非でも史実として扱いたいて、一体どういう事どす。
 前述のとおり、どっちが南で、どっちが東かちゅう事は子どもでも判る事どす。それが無茶苦茶ちゅう史料なら、金印を与えたちゅう記事も何を以って真実としますのかいな。
 ボクは「魏書東夷伝倭人条」は「忠臣蔵」か「宮本武蔵」級のもんやと思てます。
 すると天(あま)の岩戸やら金の鵄(とび)の話を「真実」として記述してる『古事記』や『日本書紀』も亦(また)、それらと同級と違いますか。それとも『古事記』や『日本書紀』が企画され、実際に書かれた藤原京時代から奈良時代にかけての頃なら、天の岩戸も金の鵄も事実やと思われてたちゅう事どすかいな。
 もしそれらが事実やと思われてたのなら、何で卑弥呼の女王国が知られてへんのどすか。聖徳太子が書いたのでもないお経の注釈書を、太子の著作にしてしまう時代どすにゃけどな。奈良時代ちゅうのは。
 とりあえず『古事記』は100%史書やないちゅう事は、今やたんとの皆さんが思たはることやおへんか。ほんまに元明天皇の時に書かれたか、そや無うて偽書なんかの問題は大した事やないと思いますけど。それよりも『古事記』にとって大事なんは書かれてる中味がどうやちゅう事やおへんのかいな。
 ボクは『古事記』は大変おもしろい本やと思てます。登場する人々が、びっくりする程の長命に書かれてるだけでも楽しい物語やおへんか。八俣(やまた)のをろちの話も興味津々。天照大神の生れ方もおもしろうす。
 そしてそれが殆ど我々の昔の歴史の話であり、歴史の舞台として設定されてるのは、いろんな事を考えさせてくれます。ヤマタイコク捜しも、学として、歴史としてや無しに、夢物語としておもしろい故にたんとの人が関心を持つのやおへんか。
 『古事記』も所々、ほんまにそうかも知れんと感じさす、優れたお噺(はなし)として楽しい読んだら、こんなええ本は無いと思いますにゃが、どうどす?

2010年3月15日 10:48 |コメント0
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水野恵 プロフィール
篆刻家。1931年1月、京都市生まれ。江戸期から続く御用印判司「鮟鱇屈」の流れを継ぐ水野鮟鱇屈3代目。幼い頃から父の師河井章石に薫陶を受ける。京都府立大学文芸学科卒業後は、書を木村陽山に、篆刻は園田湖城に就いて学んだ。俳句や水彩画も手掛け、篆刻・書とともに文人として四絶を目指す。元佛教大学四条センター篆刻講座講師。
著書は、『日本篆刻物語 はんこの文化史』(芸艸堂)、『印章 篆刻のしおり』(芸艸堂)、『古漢辞典』(光村推古書院)など多数。

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