脱線古事記

〈8〉「天地初発」はよういドン!

 古い書物には、この世の始りから書き起すもんがたんとおす。『易経(えききょう)』は「大哉乾元、萬物資始」「至哉坤元、萬物資生」とあって、乾(いぬい)の卦(け)(=天)が物事の始りのもと、坤(ひつじさる)の卦(=地)が物事が生み出されるもと、となってます。
 『老子』では「無名天地之始。有名萬物之母」とあります。言葉では言い表せない根本原理のようなもの即ち「無名」が天地の始りで、天とか地とか名付けされたもんから、いろんな物事が生み出されたちゅう事どすかいな。

弓に矢をつがえるイラスト・中村洋子

 誰でも、この世が何時(いつ)、どうやって始まったんかちゅう問題には興味がおすにゃろな。右には2つだけ紹介しましたけど、多少の違いはあっても、この類(たぐい)の話ではなんぼ興味があっても「ああそうどすか」て満足する人はおへんやろな。
 もっと科学的な説明やったら満足どすか。例えばビッグバン。これね、その時に時間が生れた納得のいく説明が一緒に無いと、それより前の「無」ちゅう事が解(わか)らへんのどすけどな。
 こう言うと、何とか方程式とか解いて、なんとかかんとか理論が解ったら納得出来るはずて言われそうどすな。えらいすんまへん。
 けどそうやったら、何で武士が偉うて職人は下種(げす)なんやちゅう質問に「お前らあほやさかい」て答えるのと変りまへんがな。ボクは世界の始りちゅうもんが、そもそもあるか無いか証明出来るかと思います。その瞬間を見た人が生きてる訳や無し。
 ところで『古事記』はどうなってるか。「天地初発之時、於高天原成神名、云々」で続いて神さんの名前が出てきます。えらい、すぼっこなもんどすな。「天地初発」それでしまい。
 太安万侶(おおのやすまろ)も、それに詔して書かせた元明天皇も、古漢字や漢字の原義の事を知ってたはずおへん。そらそうどすな。ボクが篆刻(てんこく)の世界へ足を踏み入れた時でさえ、その道の学問は進んでへんのどっさかい。
 そやさかい「天地初発」の「発」も彼等が当時の字義で使うた事を承知の上で、もしこの字を原義のままで読んだらどうなるか、一遍やってみるのもおもしろいかも知れん思て、お話してみまひょ。
 「発」の本字は「發」。これは先(ま)ず「癶」と「「發」つくり」に分解出来ます。
 「癶」は古くは「發」部首と書きました。これは又「癶」部首左「癶」部首右に分けられます。御覧のとおり同じもんの裏返しどす。「癶」部首左は絵画的に描くと「癶」部首絵文字。更に左足の足型。つまり左足の足型。ほなもう一方は右足。二つ並んでヨーイドンのヨーイの時の両足の態どす。
 「「發」つくり」は先ず「弓」と「殳」に分けられます。
 「殳」は更に「几」と「又」に分けられます。
 「殳」は撞木絵文字鞭絵文字の二系統あって前者は撞木(しゅもく)の形、後者は鞭(むち)どす。
 「又」は「手」が手の正面形なのに対し、手の側面形どす。特にこれは右手の側面で、これを横へ裏返すと左手になります。皆さん自分の両手を半開きにして顔の前へ出さはったら側面から見た手になりまっせ。
 「殳」は撞木でも鞭でも他の道具でもええさかい、手に持って何かの動作をする意味の字どす。「弓」と合字を作ると「弓に矢を番(つが)える」となり、更に「癶」も加わって正にヨーイドンちゅう事どす。

2010年3月29日 17:33 |コメント0
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水野恵 プロフィール
篆刻家。1931年1月、京都市生まれ。江戸期から続く御用印判司「鮟鱇屈」の流れを継ぐ水野鮟鱇屈3代目。幼い頃から父の師河井章石に薫陶を受ける。京都府立大学文芸学科卒業後は、書を木村陽山に、篆刻は園田湖城に就いて学んだ。俳句や水彩画も手掛け、篆刻・書とともに文人として四絶を目指す。元佛教大学四条センター篆刻講座講師。
著書は、『日本篆刻物語 はんこの文化史』(芸艸堂)、『印章 篆刻のしおり』(芸艸堂)、『古漢辞典』(光村推古書院)など多数。

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