脱線古事記

〈29〉福は旨酒

「神」の説明 先ず「神」。部品数二。「示」の古字はのように書いてT形の台の写生。この台は神を祀る時の供え物の台で、後に神や祭に関する文字の意符として使われます。日本では鳥居が神さんの象徴となってるのに似てます。
福は旨酒イラスト・中村洋子
 は稲妻の写生。神ちゅうもんは、佛さんもそうやけど姿を見る事が出来しまへんな。それで昔の人は神が天に在るとして、雷が神の声、稲妻は神が発する光として、稲妻が唯一目で見る事の出来る神の部分、又は属性と考えたんどすな。そいで神の意符「示」と稲妻「申」の合字を「神」としたんどす。

 実は「申」は、元々別々の二字やったもんが、書いてるうちに字形が似てきて一つになった経緯がおす。漢字を扱う時にこれは注意を要します。この注意が足りいで書や篆刻でよう誤字が使われます。
 「伸」に含まれる「申」は稲妻やおへん。これはのように書いて背骨の写生どす。真中の縦線が背骨で両側に肋骨を描いてます。「神」の場合はや無うての方。
 「倭」の部品数は三。「委」については前に申しました。ニンベンはそのとおり「人」を偏に使う時の形。「人」と「委」とで、しなやかだけれど強い人の意が、剛健で強いとか、柔軟だから弱いとかでなく、一見逆の条件の同居から「回りくどい人」「迂遠な人」となりました。但しこの意味はイと読んだ時の話。ワと読んだ時は日本の事どす。
 大体中国では周辺国の名にはえゝ字を当てへんのどすな。匈奴とか邪馬壱国とか。すると中国から見て昔の日本人はしんきくさい人種どしたんやろか。
 「倭」の音はワ、訓がヤマト、とするさかい神武天皇をカムヤマトイワレヒコと言えるのどすな。すると『古事記』が書かれた時点でヤマトは日本ちゅう意味と、大和国ちゅう意味の二つの意味を持ってた事になります。さ、葦原中国やら豊葦原水穂国やら秋津島やら、何処(どこ)へ行ったんどっしゃろ。
 「伊」。部品数三。「イ」は前述。「尹」はのように書いて物差しを手に持つ形の写生。物差しを操るのは大工さんのような技術者。その意味が引伸して「たゞす」「おさめる」「つかさ」のようになったんで、元の技術者をあらわす文字として「伊」も亦、「彼処」の意味に仮借されて、とうとう大工さんは消えてしまいました。
「波」の説明 次に「波」。部品数は「水」をどう解釈するかで決ります。もしこれを三つと勘定すると全体で五。「皮」はのように書いたんが最初どすがホ(1)は「克」の省略形どす。「克」の古い形はのように書いて、獣を獲って内蔵を去り身体を披(ひら)いた形どす。今なら魚のひらきか、虎の毛皮の一匹分で想像できますやろ。
 ホ(2)は手の形どす。獣の体から皮を剥ぐ姿どす。
 皮は昔は大切な衣料で被ったり脱いだりする物どした。水中の岩は波が無ければ水面上に出っ放しか沈んだまゝどす。波があれば被ったり脱いだり現象が起きます。波とは水の皮なんどす。
 「禮」。「示」も「豊」も前述。「豊」は「醴」の省略。「福」は神さんのお蔭でうまく酒が出来る事。その「お礼」に美酒を神に献ずるのを禮と言うのどす。ついでやさかい「福」の古い形をに示しておきます。旁の部分は酒を仕込む尖底土器の写生どす。
 今は福がお金のある生活のような方へ傾いてますが、福とは旨酒を神さんから恵んでもらう事どっせ。ボクら、この方がよろし。

2010年8月23日 12:12 |コメント1
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水野恵 プロフィール
篆刻家。1931年1月、京都市生まれ。江戸期から続く御用印判司「鮟鱇屈」の流れを継ぐ水野鮟鱇屈3代目。幼い頃から父の師河井章石に薫陶を受ける。京都府立大学文芸学科卒業後は、書を木村陽山に、篆刻は園田湖城に就いて学んだ。俳句や水彩画も手掛け、篆刻・書とともに文人として四絶を目指す。元佛教大学四条センター篆刻講座講師。
著書は、『日本篆刻物語 はんこの文化史』(芸艸堂)、『印章 篆刻のしおり』(芸艸堂)、『古漢辞典』(光村推古書院)など多数。

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コメント

 水野恵先生のご指摘は、ひらがなの原型(豪族が使っていた?)のようですね。
 一見するとハングル文字にも似たところもあります。ハングルは朝鮮半島の歴史からすれば、比較的新しいと聞いております。
 この辺りの研究のことは、上田正昭先生にもお伺いしたいです。所謂、「豪族連立政権」が出てくる前の時代ですね。
 興味が湧いてきます。

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