高瀬川 二条木屋町から伏見までの水路(運河)である高瀬川は、豊臣秀吉が豪商角倉了以に命じてつくらせた大運河で、1614年(慶長19年)から1920年(大正9年)まで、米、材木、薪、炭や日常雑貨などが積み込まれた底が平らな高瀬舟が行き来していました。
 現在は舟の行き来は途絶え、川沿いは樹木や草花(楠、榎木、黐の木、楓、餅の木、銀杏や薔薇ほか)に覆われています。
 写真は五条通りから50メートルほど下がった榎橋に咲くカラー(オランダかいう)と開花しはじたアジサイです。このあたりは平安時代には光源氏のモデルといわれる源融(みなもとのとおる=嵯峨天皇の皇子)の邸第「河原院」の大邸宅があったところで、その碑とちいさな社と鳥居が祭られています。
 騒音激しい五条通りと違ってさらさらと流れるせせらぎが聞こえそうな高瀬川。二条から鴨川まで高瀬川に沿ってテクテクと歩くのも風情があります。(仲野良典)