梅原猛さん講演 3日、京都市左京区の京都会館で行われた「5・3憲法集会in京都」での哲学者・梅原猛さんの講演(大要)を紹介します。

―「今日は、茂山千之丞さんと2人で漫才をやりながら、9条への思いを語りたいと思っていたのですが、茂山さんが亡くなって残念です」と切り出した梅原さんは、自らの戦争体験と9条への思いを語りました。

 「9条の会」呼びかけ人の中で、2等兵で戦争に行ったのは私1人です。戦争では大変苦労しました。私はとくに運動神経が天才的に鈍い方で、右向けと言われたら左を向いたり、前に進めと言われたら進まなかったり。さんざん中学時代から軍事教練の先生に殴られた経験があります。
 そして勤労奉仕で三菱発動機に行っていた旧制高校2年生の時に、空襲に遭いました。B29が6波来た恐ろしい空襲で、勤労奉仕をさぼって友人とだべっていたため、友人の防空壕に入って助かった。本来私が入るべき防空壕は、直撃弾があたって全員死んでしまいました。
 私はこの戦争は負けると思って、なぜ負ける戦争にひとつしかない命を捧げなきゃならないのか、私は深く悩んで、悩みが尽きないので早く死んだ方がいいと思って、特攻隊の予備校である甲種特別幹部候補生を受験しました。学科試験は満点、体もよろしい、でも落ちました。口頭試問で戦闘機の名前を言えと言われましたが、私は隼(はやぶさ)しか知らなかった。もっとたくさん言えと言われたが言えなかった。試験官が「馬鹿野郎。子どもでも5つは知ってる」と言われて「お前は高等学校の生徒のくせに1つしか知らないなんて非国民だ」と言われて落ちました。そのために命が助かりました。そういう戦争の思いがありまして、私は2度と戦争はしてはいけないと思うんです。
 憲法はアメリカによって作られたと言う意見があります。だけど9条には21世紀以後の人類の理想が含まれています。人類はもはや核戦争をしたら大変なことになります、あるいは環境破壊で人類は破滅してしまいます。この時こそ、全人類が一緒になって苦難から人類を守らなくちゃならない。そして人類の恒久的な発展、恒久的な存続を図らねばならない。その時に原爆や水爆で国を強くするというのは、19世紀の国家主義の考え方で、もうそれではだめなんです。
 ―東日本大震災の復興ビジョンを策定する政府の「東日本大震災復興構想会議」の特別顧問(名誉議長)に指名され、4月から活動を開始しています。福島第1原発事故を機に、原発に対する自らの姿勢を悔やみ、原発全廃運動を提唱します。
 私は15年ほど前に反原発ということを書いています。そして、原発は危ない、廃棄物すら危ないとこういうような原発をやめて、クリーンエネルギーを開拓しようと主張してきましたが、どうも筆が弱かった。なぜかと言うと、これは辛いことですが、国際日本文化センターにいた時、財団の理事長に関電の社長・会長を務めた立派な人に大変恩恵をこうむった、そういうことがありまして、筆が鈍りました。今それを非常に後悔しています。その時に、安斎先生といっしょに反原発の運動をすればよかったのに、と思います。
 今すぐに原発をやめるのはなかなか難しい。それはエネルギー政策にもかかわるし、そして原発にたくさんの職員が勤めている。そういう人たちの就職問題も考えなきゃならない。少なくとも20年かけて全廃する運動を起こすべきだと思います。日本は原爆を受けて平和国家に蘇った、今度は原発事故で日本はクリーンなエネルギーを持つ新しい国に生まれ変わらなくちゃならない。
 このことは神話が崩壊したということでもあります。…(詳しくは、「週刊しんぶん京都民報」5月15日付に掲載)