へちま加持 3日は中秋の名月。左京区修学院北にある赤山禅院では、ヘチマ加持でぜんそくや気管支炎を封じ込める無病息災を願う神事が行われました。
 赤山禅寺は888年(仁和4年)に比叡山天代座主安慧が師の慈覚大師円仁の遺命によって創建された延暦寺の別院(塔頭)の一つです。京都御所からは鬼門の方角にあたるため、方除けの神としても古来信仰をあつめました。
 例年中秋の名月(旧暦8月15日)はぜんそく封じ「へちま加持」の日。比叡山千日回峯満行の大阿闍梨が護摩を焚いて、加持します。栢木寛照(かやき かんしょう)住職がヘチマ加持について、へちまの種とへちま護牘(ごどく)を家に持って帰り、一番きれいな所に穴を掘って埋めて、21日間、欠かさず水を注ぎ、残ったコップに塔と梵字が書かれたへちま護牘(ヘチマを乾燥させて薄い紙にしたもの)を入れて、「光明真言」を唱え飲むという風習を解説。「鰯の頭も信心から、です」と信者らを笑わせました。
 また、寺の前の鳥居について、「明治までは神仏一緒で八坂、上賀茂、下鴨、北野などの神社は全て仏教と神さんが一緒でお坊さんもいたのですが、明治政府が仏教を捨てさせ日本を神の国に仕立て上げ神社にしたんです。その後、日本は神の国だからといって戦争ばかりをやってしまった」などと話しました。(仲野良典)