1949年から50年にかけて日本共産党員、およびその支持者を「国家・企業の破壊者」と見なして強制的に追放した事件―レッド・パージ。60年目の今年、不当な事件の真実を語り、名誉回復を訴える人たちの証言をたどります。

近畿電信局─超憲法措置により共産主義者首切り

 「マッカーサー指令は超憲法措置だ」─。1950年11月9日、近畿電信局で6人がレッド・パージにあいました。湯浅治さん(85)はその1人です。地方労働委員会に提訴し、職場復帰を願いましたが、かないませんでした。「共産主義者ということがそんなに恐ろしいのか。納得できない。政府は団体等規正令でレッド・パージの名簿までつくった」と振り返ります。
 今でもはっきりおぼえています。局長に呼び出されて局長室に入るなり、いきなり言いわたされました。「貴男は、共産主義の同調者で、公務の機密を漏えいし、秩序を乱すおそれがあるので国家公務員法第78条3項により免職す」。言い終わると、「これだ」と書状を無理に手渡されました。
 「国家公務員法第78条3項」なんて大げさな言い方ですが、中身は職務評価の悪かったり、健康上問題のあるという理由以外に、「その他」という理由で免職できるということです。私はもちろん、同日切られた他の5人も、「公務の機密を漏えい」したり、まして「秩序を乱す」ことなんてしたことがありません。共産主義者およびその同調者は「その恐れ」があるだけで首切りされるなんて、そんなばかな話があるかと言いたい。
 当時、私は全逓信労働組合の京都管理署支部の支部長でした。私たちの活動は当時としては珍しく、ストライキやサボタージュの類は一切せずに団体交渉をするだけという穏健なものでした。首切りの理由は完全にデマです。
 私たちは労働組合からも追い出されたため、地方労働委員会に訴え、職場復帰を求めました。ところが、地方労働委員会は、「(首切りは)マッカーサーの指令で行われたもの。指令は超憲法措置のため、日本の法律で対処しない」と判断しました。
 つまり、マッカーサーが「共産主義者は首切りをしろ」と決めたことには従わなければいけないということでした。
 首切りされた仲間のうち、共産主義の「同調者」と判断されたものは職場復帰できました。私も「同調者」と見られていたので、「復帰してよい」と言われていました。ところが直前になって、「お前はやはり『共産主義者』だろ」と指摘され、復帰は取り消しになりました。私は前年に、団体等規正令で日本共産党員として登録していたので、その名簿を確認され「共産主義者」と見なされたのだと思います。
 追放後、なんとか職業安定所での職を得て働くことができました。労働運動にも再び参加し、蜷川民主府政の下で仕事も活動もがんばってきました。
 今度の府知事選で門さんは、「国に対してしっかりものを言っていく」と発言されています。蜷川さんは国が財政を締め付けてくる中で圧力に屈せず、府民を守り通した。門さんもどんな圧力にも屈せず、憲法の立場で府民のための政治を貫いてほしい。

団体等規正令 政党・協会その他の団体を取り締まることを目的に1949年4月4日に公布、施行された法規。日本共産党の組織と党員が登録制になり、レッド・パージする際の名簿作成に利用された。